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原因と結果の話
じつは、最近ずっとあることに憤りを感じていて、そこから思ったことについてお話しします。
(できるだけ、抽象的な話をします)
ある人が悩みを抱えていて、その事を苦にして、自ら命を絶ったとします。
周囲の人は、いろいろな事を言いますが、その中で、
「~のように考えられれば(良かった)」とか、「何故~することが出来なかったのか(悔やまれる)」という事を言う人がいます。
しかし、それに対して思うことは「~できたら、最初から苦しんでいない」という事であり、
重要なのは、「~」すること以前に、「~」するための術(すべ)を知らなかったことだと分かります。
例えば、学業で成績が上がらない人が求めるべきは「勉強法」ではなく、「やる気をだす術」でなければなりません。(勉強法は世の中に溢れています、やるかやらないかです)
そう考えて、初めて本当の問題解決法を探求し始めることができます。
そして、問題解決法を考えるときの「論理」も重要なはずなのですが、この「論理」・「論理的」という言葉が、問題解決を遅らせたり、問題の根本原因への道を閉ざしたりすることがあると思うのです。
会社の業績を上げようと思えば、社員が意見を出し合い、ある「仮説」(問題の原因を仮定した)に従い実行したことについての「結果」を、都度検証することを繰り返します。問題解決というのは、そうやって行われるものです。
しかし、物事の「根本原因」と「結果」との関係性が、想像をはるかに超えていることがあるということも頭に置いておくことが大切だと思うのです。
昔、あるボクシングの選手が、試合に負けた原因は何だと思うかと問われて、こう答えました、
「今日の朝、パンを食べたから」
いつも朝食は米なのに、その日に限ってパンを食べたから負けたと言っているのです。
私は、その考えは正しいと思っています。正直に申しまして、そこにどのような「論理」が有るのか(或いは無いのか)考えることには、あまり重要性を感じられず、この場合、私が興味があるのは「習慣」というものが、いかに大きな力を持つかということです。
だから、無責任に言わせてもらいますが、彼は、いつも通り米を食べていれば試合に勝っていたと思います。
(「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークの天気が変わる」って聞いたことありますでしょ、映画「ジュラシックパーク」で)
ある人が太っている「本当の原因」は、食事量でもなく、運動量でもなく、
毎日、白い靴下を履いているからかもしれないのです。(例えばの話です)
最終回「覚書」
筋肉に「コリ」があると痛いですよね、
それを「硬結(こうけつ)」と呼んだり、血流の問題から『発痛物質』が生じて痛みの原因となるとか、
たしかに、そうなのかもしれませんね。
そのぐらいのことなら、私だって言えますけどね、
でも、そんな話を聞きたいわけじゃありませんよね、ましてや医者でもない人間から、
(私はそう思うのです)
私は、だいたい次のようなことを言います
「気の流れが滞っていましてね、気が滞ると血(けつ)が滞るのです、・・で滞っているところは痛いんです」
「例えるなら、水の流れが障害物で妨げられているので、その障害物を探して、どかしていきましょうかね」とか、
「気を流すために、ツボを刺激していきましょう」とかね、
私が言うべきは、こういう事だと、現時点では信じていますし、こういう考え方が好きです。
とにかく、『気』という言葉から離れたくないんです。
なぜかというと、けっきょく人は「元気」になることが一番大切だと思うからです。
当たり前だと思うかもしれませんが、私が言う『ほんとうの元気』とは、例えば次のような事です、
どんな病気の人でも、ジャンボ宝くじで一等が当たれば『一瞬で元気になります』(想像してみてください、想像は自由です)
病気が一瞬で治るなんて言ってません、でも一瞬で元気になるはずです。そして、そこから全てが始まります。
人はだれでも、自分が喜びを感じることを実践し、ある時はそれに向かって義務を果たし、日々精進する中で、湧き上がる「気」を糧として生きているものだと信じています。究極的には『自己実現』ということでしょうか。たとえどんな時代であってもですね(※だれにでも受け入れられる考えじゃないことは承知しています)
もちろん、人間は生きているだけで十分幸せという考えだって素晴らしいと思います。
いずれにしても私は、『朝起きた時から、すごく調子いいの』とか『~さんがすごく元気になっていってる』とかいうお言葉に一番価値を感じています。
さて、メインテーマが整ってきたので、今回の記事をもちまして一旦締めくくりたいと思います。
あらためまして、明大寺マッサージ院の『大川 たろう』です。
私は、あん摩マッサージ指圧師です。(国家資格ですよ)それ以上でも以下でもありませんが、『もみ屋』といわれても結構です、むしろしっくりきます。
そして、提供したいのは「癒し」、願わくば「その人にとっての本当の癒し」につながる施術です。
ありがとうございました。(完)
等身大のポリシー
私は、虫が苦手です(全部ではありませんが)
たとえばゴキブリは苦手ですが、実際に目の前にいるときは当然として、想像しただけで、ちょっとだけ体が浮いたような(浮足立ったと言うんでしょうか)感じがして、通常よりも地面をしっかりと捉えることができなくなるのです。
この感覚は、前回の記事でもお話ししている「軸」というものを失った状態(「自分軸がゆらぐ」と表現しました)であります。
強固な「垂軸」から手を放してしまった状態ですね。
そして、ある時は、こんなことがありました、
突然、「自分軸がゆらいだ」と思って、立ち止まり周囲を見ると・・・
いたんですよ!(ゴキブリが)
このとき、わたしはゴキブリの存在を認識してはいませんでした、しかし、体はその存在を察知し、「違和感」をあらわした・・・
※過去の「オーリングテスト」や「三脈護身法」の話はここに通じてきます。※過去の記事はこちら
ゴキブリがいたのは偶然だといわれても仕方ないですけど、「自分軸がゆらぐ」感覚というのは私自身は明確にわかります。
その前後で、この感覚をもたらす要素はゴキブリ以外に無かったので・・・
なんかバカみたいなことを真面目に話してるようですが、
施術中に「ここ痛くないですか?」ってお聞きするとき、実はそこに触れながら、私自身が「自分軸がゆらぐ」感覚を感じているからなんです。ただし、私もプロですからね、そこにある筋肉の「コリ」ってものは、ちゃんと感じてます。※施術部位の根拠として積極的に挙げるなら、その点ですよ当然。
でもね・・・明確に「コリ」を触知してるときだけとは限らんのですわ、これが・・・
※手から感じることを軸でとらえるのは、太極拳の「聴勁(ちょうけい)」という技術に通じます。映画『燃えよドラゴン』でブルース・リーが空手家のオハラと対戦するとき、互いの手を合わせますが、このとき「聴勁」をつかっています。
まあ、とにかく自分軸がゆらいだ状態で、正しい手技は行えませんので、きちんと立て直します。
すると、気持ちがいいでしょう、もしも自分軸がゆらいだ状態のままやったら、手だけに力が入ってムチャクチャ痛いんですわ。
ちなみにですけど、一般的に「治療には、ある程度の痛みを伴う」という場合もあるでしょう、下手だから痛いんじゃないですよ、きちんとした理由があってのことです。
それでもウチはやりません、絶対に痛い施術はしません、痛くしなくても治療はできますし、できないことはやりません。(治療って言葉は使えないんですけどね)
(今回はここまでです、ありがとうございました。)
真の面白Tシャツ
黒Tシャツ
「ロックTシャツは黒と決まっておる」(たろう先生)
名古屋のロックバンド『ザ・タペタムズ』のTシャツです。
(たろう先生の姪と甥が所属しているバンドです)
2000円(画像はMサイズ※たろう先生の身長は162cmですがサイズ感ピッタリです)
けっこう洗ってますが、型崩れしませんし、縮みません。夏なのでもう一着買いました。






