すごく難しい話

床の上に100kgのバーベルが置いてあるとします。

それを、『どんな姿勢でも動作でも良いので、床から数センチ持ち上げてください』、

と言われたら、実際にできるかどうかは別として、やり方を想像できないということは無いでしょう。

いわゆる重量挙げの選手ではなくても、『力持ち』の人なら出来てしまうかもしれませんし、

できない場合でも、どうしたら出来るようになるのか想像することはできると思います。

 

また、100mを10秒台で走れと言われたら、

これも同じようなことで、少なくても『走る』という動作は誰でも出来ると思います。

 

これらは、『できる・できない』の違いが、どんな能力の違いなのか?、比較的わかりやすい『目に見える身体能力』だといえます。

 

それに対して、

ある茶道の先生が、完全に正座した状態から一挙動で(ノーモーションで)立ち上がったり、

ある舞踏家が、他の部位を微動だにせずに手首から先だけを動かしたり、

これらは、一見しただけでは、その能力の特殊さが理解しにくく、

多くの人は、実際にやってみて初めて、『真似できない』ということに気づきます。

さらに、なぜ出来ないのか? どうやったら出来るのかを想像できないと思います。

 

つまり、『できる・できない』の違いが、どんな能力の違いなのか?わかりにくい『目に見えない身体能力』です。

 

『目に見える身体能力』は、そのトレーニング方法も明解で、多くの人が同じように身につけられますが、

『目に見えない身体能力』は、『極意』という言葉に置き換えられ、その構造自体を明解に説明することが困難な場合が多いため、そのトレーニング方法も明解ではなく、多くの人が同じように身につけられません。(合気道などの『合気(あいき)』という概念がそれにあたると思います)

 

『目に見えない身体能力』=『極意』を修得するための道筋として、

一定の条件(制約)の元で要求される事を達成するという方法があります。

達成するためには『極意』の修得が不可欠であるため、『ごまかしがきかない』という意味では、確実に『極意』に行き着くというわけです。

その一定の条件(制約)が『型(形)』というものです。

 

逆に言えば、極意を持つ人の型と、そうでない人の型は、一目で分かります。

 

太極拳も極意を修得するための型です。

 

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われ思う故に

梅雨になったので、雨が降るのはあたりまえなのですが、

晴天の日とくらべて気温は下がります。

しかも、気温が短期間に変動すると、人間の体も調子を合わせにくいので、

さまざまな不具合を生じることでしょう。

こういうことを是非、あたりまえだと思ってください。(こんなの“ふつう”だと、)

とはいえ、不調を感じながらも変わらぬ日常生活をおくるのは大変ですが、

 

一つご紹介したいお話があります。

 

ある空手家の方が雑誌のインタビューで仰っていたことで、

『自動車理論』という考え方があります。

私なりの受け止め方で簡単に言いますと、

『体』は自動車(乗り物)で、それを運転する『自分』とは別物であり、

だからこそ乗り物のコンディションが変わっても、それなりに乗りこなすことは可能だという考え方です。

実際に、空手の試合中に手足を骨折しても、それなりにカバーしながら戦い続け、試合に勝利した経験もお持ちのようです。

 

単に『ガマン強い』ということではなく、

この『自動車理論』をもたない人と比べると、体の不具合が生じた際に、その受け止め方が大きく違うのだと思います。

 

誰しも自動車を運転するとき、(ある種のレーシングカーは別として)車体の中央に座って運転することはありません。

だから、自分の体の中心と車体の中心は異なるわけです。

その上で、ちゃんと車体の中心を基準にして自動車を動かすことが出来るはずです。(車両感覚です)

これこそが『体』と『自分』を分ける感覚に通じてきます。

 

『体』は乗り物であり、その中心軸は、運転手である『自分』の中心軸と同一ではない

自分自身を俯瞰(ふかん)する感覚だと思います。

 

たとえば、痛みや苦しみを感じたとき、

ふと、それを感じている自分を意識すると、

その自分に対して、『深く息をしろ』『痛みによる萎縮を解け』『動け』などの指令を送ることが可能になります。

 

はたから見てガマン強く見えるということは、こういうことなのかもしれません。

 

どうしても何かをガマンしなきゃいけないとき、その瞬間に自分と体を切り離せなくても、

一言、『深呼吸をする』と頭で思ってみてください、

思っただけで深呼吸に必要な筋肉が、まず反応してくれます。

体をコントロールし、それによって意識をコントロールするための第一歩です、

つまり『呼吸法』というやつですね

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『kaGai』

華蓋

↑『華蓋(かがい)』:図のような傘のこと

華蓋 肺

↑こちらの図は何かというと、『肺』です。東洋医学においては、このような形とされていました。

傘のような形なので、『肺』のことを『華蓋』と呼びました。

この図をモチーフにして、このようなデザインにしました。

kagai白地

某有名ブランドのロゴを見て思いつきました。

Tシャツを2種類、suzuri.jpで掲載しています。

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すべてを穏やかに

いま、ワクチン接種について話題にされることが多いかと思います。

ワクチンは、すべての人が順番に、無料で、必ず受けることが出来るものです。

毎日、その日の感染者数や死者数などの情報が耳に入ってくると、

なんとなく、平常心を乱されるような場合もあるかもしれませんが、

いままでどおり、冷静に思考力を保って過ごされるべきだと思います。

報道される情報以外にも、『ワクチン』や『新型コロナウイルス』に関する知識を得てみるのも良いと思います。

この『コロナ』の問題は、もう一年と半年ぐらい前に始まり、

『ワクチン接種』という局面が、ついに身近に迫ってきたわけです、

しかし、自身がワクチン接種をすることと、

世の中のさまざまな問題が、今後1~2か月で展開していくかどうか?ということは、

次元の違う話だと思うのです。(まあ、やっぱりオリンピックの事とかね・・・)

考えだしたらきりがないし、ずっと考え続けていたら疲れてしまいます。

とりあえず、もういちど言いますけど、

ワクチンは、すべての人が順番に、無料で、必ず受けることが出来るものです。

つきぐっちゃん昼寝

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足るを知る者ナリ

先日、うちの両親宛てにも『ワクチン接種券』が来まして、

大物アーティストのライブチケットみたいに、電話かけまくってたようですが、

そんな中での、なんか『しょーもない』ニュースありましたよね。

ちょっと話それますけど、何かのために『並ぶ』のが大嫌いなんですよ、

例えば、ラーメン屋さんとか、新製品とかね、

行列つくってまで(つまり、一刻も早く)何かを手に入れたいと『思えない病気』なんですわ、生まれつき、

望む人には全て平等にいきわたるものだけで十分です、

『プレミア』に価値を感じたことは無いし(正確に言えば、『先を争ってまで手に入れるほどの価値は無い』ということです)

『プレミア感』を押し付けられることには嫌悪感すら感じます。

『ほとぼり冷めたあと、誰と争うことなく、ゆっくりと手に取ったもの』、その段階に至って尚、価値を感じるなら『本物』です。

話をもどしますが、どこかの誰かが1人か2人、何に優遇されようが、どうでもいいです。

人が殺到してる時点では、未だ大した価値は無いんです、たぶん(どう思います?)

つきぐっちゃん昼寝

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こくてっけん

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※元ネタの映画があるんですけど、タイトルを思い出せません。

東洋医学では、さまざまな原因によって『血(けつ)』の流れが滞ると、

黒い塊のような状態になると考えられています。

目の下のクマ、皮膚のシミ、サメ肌、同じ所がズキズキ痛む、夜になると痛む、舌が紫色など・・・

『黒い血』のせいかも

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十分すぎる世界

激動の世の中にあって、「日々見聞きする情報から何を受け取るべきか(どう行動するか、何を持つべきか、結局何がどうなのか等)わからない」と思うことはないでしょうか?

しかし、よく考えてみれば、世の中に溢れている情報のほとんどは『有名人のスキャンダル』と同等ですので、

知らなくても全く困ることがありません。ほんとうに全く困りません

もし、そう思えないときは『日々の暮らし・人生・歴史』という事について、『原始的』(※言葉が適切ではないかもしれませんが)に捉えてみてください。

まず、人間は何かを成すために生まれてくるわけではありません、

『かけ離れた世界』と関わらなければいけない義務はありません、

『かけ離れた世界』の事まで知らなければいけない義務はありません、

他者との関係は、身内を介した繋がりだけでも十分です、

食べ物は世の中に溢れています(自分で作ることも簡単にできます)、

健康になる方法は世の中に溢れています(どの方法でも継続すれば十分健康になります)、

生きていく上でお金はあまり必要ありません(納得できないかもしれませんが)、

小さな集落の中だけで一生を終える人だって存在します、

仕事とは本来、生活の中にあります、

 

今、情報に振り回されていると感じる瞬間があるなら『いろいろな事をやりすぎです』

とりあえず『それ』は置いておきましょう。

つきぐっちゃん昼寝

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気軽に足裏から

小型犬の『パテラ』(膝蓋骨脱臼 しつがいこつ だっきゅう)って多いんですね。

正確には『パテラ』とは膝蓋骨(ヒザのお皿)のことです、

太ももの骨の先端に『膝あて』のように着いていて、その上から『靭帯(じんたい)』という筋肉の一部の強い組織で覆われる状態になっています。(ヒザの皿と靭帯は一体になっていると思ってください)

太ももの骨の先端が溝のようになっていて、その溝に膝蓋骨がはまるのですが、

小型犬の場合、その溝がもともと浅い溝なので、膝蓋骨は容易に横へズレてしまうのです。

つまり『膝蓋骨脱臼』自体は、日常の自然な動きの中でも容易に起こり得ることなのですが、

逆に、容易に元に戻る場合が多いということですね。(犬がストレッチのように後ろ足を伸ばす動作をするときは、自分で膝蓋骨脱臼を直している可能性があります。)

ただし、膝蓋骨脱臼にはグレード1~4まであり、手術が必要な場合もありますね。

大切なことは、正しく認識して管理してあげることですが、

そもそも、なぜヒザの皿がしっかり収まるような骨の形になっていないのか、といえば、

それは小型犬だからなのでしょう。

意図的な交配によって小さな体で生まれてくるということは、骨を発達させる力が弱いとも考えられます(オオカミや野生のイヌ科の動物たちが容易に脱臼する体であるハズがありません)

東洋医学的にみれば、『生命力が旺盛な存在』ではないのかもしれません。

とは言え、小型犬の多くは遊ぶことが大好きですから、走ってからの急旋回とか、ジャンプなどの動作をよくしてしまいます。

生活環境や食事(体重管理)に注意する以外にも、日常的なマッサージなどの肉体のケアをしてあげてほしいと思います(思いがけない良い変化があるかもしれません)

ふと思ったんですけど、犬と猫を比べた時に、

犬は運動を強いられる割には体を撫で擦られる機会が少なく、猫はその逆ではないかと

実際は知りませんけど(猫は撫でられてばかりなので)

湧泉の指圧

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