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一応、ご報告します②
昨日、一回目のワクチン接種いたしました。(7月24日16:30 ファイザー)
注射した場所の筋肉の痛みは、今朝起きた時に感じました。
12:30現在まだ痛いです。(痛みの程度は変わりません)
他に“副反応”は出ておりません。
本日は通常どうり営業しております。
熱中症にご注意ください。
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一応、ご報告します
本日、“ワクチン接種”の一回目に行ってきました。
16:30に注射してから約2時間後の現在も特に体に違和感は感じておりません。
注射した腕が痛くなるかなぁ? と思っていましたが、
今のところは痛くありません。
私がうったのは、ファイザー製のワクチンです。
私自身は年齢満47歳で、持病は無く、常用している薬もありません。
昨年は10月ごろ『風疹(三日ばしか)』のワクチンを接種しました。(訳あって)
とりあえず、以上です
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“日常”を生きる者の話
65歳以上の人につづいて、エッセンシャルワーカーに優先的にワクチン接種をする旨の通知と接種券が、保健所から届きました。
“エッセンシャルワーカー”とは、『日々の生活を維持していくために、新型コロナの感染リスクを感じながら現場で働きつづけてくれている職業の方の総称』なのだそうです。
医療従事者、ドライバー、介護・福祉、保育士、食料品店、公務員、などが挙げられますが・・・
当院のような“施術所”も、その優先の対象に含めていただいている、ということです。
実態は兎も角、“優先的”という言葉は、賛否を生じるものだと思っています。
物事に『順番』が生じるのは仕方のないことですが、
その順番の上位に優先的に選ばれる理由として、今回のワクチン接種の場合でいうと、
最初に、感染者と接する医療従事者、
次に、感染により重症化するリスクの高い人(よって65歳以上の高齢者?)
次が先に述べた“エッセンシャルワーカー”ということになりますね、
“日々の生活を維持するために、感染リスクを感じながら、現場で働く人たち”って・・・
まあ、今だったら“リモートワーク”できる人以外は全て当てはまるような気がしますが、
そう単純ではないのでしょうね、
ところで、ネットで予約してみた感想ですけど、
普通に説明文を読んで指示通りにやれば、なんの問題もなく予約完了しますが、
きっと、“むずかしい、ややこしい、めんどうくさい”と感じる人もたくさんおられるでしょう。
参考までに、私の両親(共に70代)は2回の接種を終えました。
たしかファイザー製のワクチンだと思いますが、注射した腕が痛むぐらいで、他の“副反応”に苦しむ様子はありませんでした。
私自身も、今のところファイザーの予定だそうです(変わることもあるようです)
いずれにしろ、やるべきことが明確ならば何も心配はいりません。
もちろん、『いまやるべきこと』ですよ
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感覚的な話
“某国の大統領暗殺”のニュースを聞いて思ったことをお話しします。
『ハァ・・・くだらない』
『政治家と言ったって“マフィア”でしょ、どうせ・・・そういう国ってたくさんあるんでしょ、どうせ・・・』
というのが、率直に思った事ですが、もちろん偏見です。
ほんとうのところは何も知りませんし、わざわざ調べもしません(他に考えることもあるので)
ただし、“真実”というものは、示された情報(事実)をもとに解明するしかないので、
すべての情報が、記録されていない・提示されない・情報が正しくない(情報の食い違い)ということが事実としてある以上は、
けっきょく、個人が偏見をもつことを批判される筋合いは無いと思っています。
ついでに、私が想像したことをもう少し言うと、
クーデターとか、内戦とか、弾圧とか、テロとか、いろいろ言うけど、権力(利権)を武力で奪い合ってるだけの事でしょ、どうせ・・・です。
だって“歴史”ってそういうものですもんね、
大河ドラマですら、感情移入せずに一歩引いて事実関係にだけ着目してみたら、ヒドイ話ですよ、
あんな時代に、あんな社会の中に存在していなくてよかったと思いますからね、
しかし、だとすれば、そのような“歴史”の一面には、
安定とか、秩序とか、非暴力とか、公(おおやけ)とかいう感覚を志向する人間も同時にいて、
世界全体が少しずつでも、そういう方向に志向されて現代に至っているのだと思っています。(浮き沈みはあっても、全体としては右肩上がりみたいな感じで)
だからやっぱり、世の中は“良くなっていく”のが当たり前のはずです、
以上です。
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制限と無制限
『総合格闘技』というものがあります、
一般的には、『打(だ)・投(とう)・極(きょく)』※(打撃・投げ技・関節技)の要素を含み、
『競技』としての制約の中で、限りなく“なんでもあり”に近い闘いの様式とされるものです。
総合格闘技は『種目』であって、本来は総合格闘技という『流派』ではありません、
空手、柔道、柔術、ボクシング、レスリング、その他、格闘技以外のスポーツ出身者でも、
総合格闘技の試合に出場することは可能です。
その際、多くの選手は“なんでもあり”の試合を想定した上で、
自分にとって不利な要素を、『足し算的』に強化しようと努める場合が多いのです。
例えば、“柔道家”がパンチ・キックなどの打撃に対応しようとしたり、
“空手家”でもボクシングのテクニックを学んだりします。
ここで、ある疑問が浮かびます。
ボクサーが、投げ技・関節技・キックを想定したトレーニングを行うのは、仕方のないことかもしれませんが、
空手や柔道というものは、そもそも“なんでもあり”の状況に対応するために生まれたものではないのか?
ということです。
もちろん、空手・柔道に限らず、あらゆる『武道』は、“なんでもあり”の状況、言い換えますと、
『あらゆる局面に対応する』ために存在します。
そして、『あらゆる局面に対応する』ということは、『なんでもできる』ということではありません。
突然ポケットから刃物を取り出して向かってきた相手を、空手家が“正拳突き”で倒さなくてはならない、という『ルール』はありません。
場合によっては、相手が不審な動きをした段階で、その場から逃げることもあるでしょう。
ただし、ほんとうに『なんでもあり』の状況下においての話です、
総合格闘技の試合において、逃げる事は許されませんし、凶器を使用することも許されません。
『あらゆる局面に対応する』と言いましたが、
『対応する』とは、限られた能力であっても取り得る選択肢は無限に存在するということです。
そして、選択肢が無限に存在する以上、『こう来たら、こうする』というパターン別のテクニックを『足し算的』に修得することは出来ません。
そうではなく、『すべての土台となる一つの極意』を『引き算的』に追求する道が求められます。
以前テレビ番組で、合気道の開祖である植芝盛平さんのお孫さんが、こう言っていました、
『夜道を歩いていて、ふとイヤな感覚がしたりして、この先の物陰に誰か悪い人が潜んでいるかもしれないと、
前もって注意する、そういうのが合気道だと思う』と
武道とは、そういうものです。
