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抽象的な話

“ソリューション & サポート”という言葉を聞いて、

どこかで聞いたことがあると思ったら、

印刷業の会社員だったころに聞いた言葉でした。

 

言葉の意味は、『(顧客のかかえる)問題解決』ですが、

さらに進んで、“積極的な問題提起”からの『問題解決』を意味しています。

 

顧客が求めるものを提供するのは当たり前、

顧客が『何のために』それを求めるのかを考え、もう一歩先の提案をする・・・

 

それはまだ良いとして、

問題ではないことを、重大な問題のように“あげつらい”

人を不安な気持ちにさせ、

そこにつけこんで、物を売る?

そこには、小さな字でこう書かれていませんか?

『効果・効能を保証するものではありません』と、

 

断言しますが、

どんな分野の商品・サービスであろうと、

それを売るための“宣伝文句”には一つの“型”とも言うべきものが存在します。

 

その目的は、ただ『買わせること』のみ

 

商売とは、そういうものなのでしょうか、

「そうでなければ、商売として成立しない」と言うなら、

私の仕事は“商売”じゃなくていいです。

つきぐっちゃん昼寝

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むずかしい話

VID_20210911_132458_exported_2806←ブラックバス

Screenshot_2021-09-17-10-36-11~2←ミドリガメ

 

池とか川で、“外来種”と言われる生き物を見ることがあります。

上の画像は、どちらも乙川に棲んでいる生き物ですが“外来種”です。

 

“外来種”の何が問題かというと、

生態系への影響です。

 

すぐ思い浮かぶ事としては、

・“外来種”が“在来種”を直接的に捕食する

・一定の範囲の中で“外来種”が増え、“在来種”の生息域を圧迫する(餌となる生物や、産卵場所の奪い合いが起こる)

など、です。

 

“外来種”を持ち込むのは人間ですし、問題視するのは人間ですから、

当然、人間の生活への影響があるということです。

漁業や農業などに与える影響は想像しやすいと思います。

 

それらの問題を含め、もっと様々な問題があるのでしょう。

 

その問題とは、様々な立場からの視点によって生み出されています。

また、思想・信条・『好む・好まざる』という感情によっても、その問題の度合いが大きく変わります。

 

いずれにしろ“外来種”に関する問題は、『命とは何か』という議論に発展した後、

現実的には解決不能、議論の収拾不能であることを、

人々に“なんとなく”感じさせるのです。

 

そして、この問題は、“生命力”というものが如何に(人知を超えて)強大な力であるかということを示してもいるのです。

 

ところで、海洋生物には“外来種”という問題は存在するのでしょうか?

海は世界中繋がっているのだから、少なくても“外来種”という概念はあり得ない?

いまのところ、そう思ってます。

つきぐっちゃん昼寝

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ゴムボールのような?

『ケガをしにくい体』ということについて考えていた時に、

一つの“例え”を思いつきました。

魚釣りで使う『リール』の『ドラグ』という機能です。

 

ドラグ

リールは糸を巻き取る道具ですが、

ドラグを調整することによって、

一定の範囲を超える大きな力に対して、抵抗をかけつつ糸を逆に送り出すことができます。

もし、この機能が無ければ、大きな力に対して、糸や釣竿の強度が限界を超えれば壊れてしまうでしょう。

 

じつは、ここからが本題なのですが、

“ケガ”(筋肉や関節の損傷に限定して)をしにくくなるためには、

体にかかる大きな力に対して、次の3つのうち

①完全に脱力し抵抗しない

②筋肉をガチガチに固めて抵抗する

③一定の力を保ちつつ柔軟に対応する

『ドラグ』の話をしたのですから、③が正解ですが、

 

※①は何が問題なのかというと、

たとえ抵抗しなかったとしても、筋肉には伸びる限界があり、関節には動く限界があるからです。

(限界に達する前に、体にかかる負荷が無くなるなら、問題ありませんが)

①と②は、けっきょく同じことなのです。

 

『高所から落下した赤ちゃんが無傷であった』という事例を出して、

“脱力状態だから助かった”とする意見を聞いたことがありますが、

この赤ちゃんが無傷で済んだのは偶然です(単純な話ではありません)

 

では、③とは、どのような状態なのかと言いますと、

こちらの記事をご覧ください

ここで説明している『放鬆(ほうしょう)』という状態によって可能となります。

 

『放鬆』という状態は、けっして自然な状態とは言えません、

体得するには具体的な訓練法もございます。

東洋医学的にも、いろいろと良い効能が得られます、

興味のある方は、当院でもいつでもご指導いたします。

つきぐっちゃん昼寝

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たとえ話

ふと、“平和”と“健康”って同じものだと思いました。

それが失われるまで、その価値を実感しにくいものだと思うのです。

 

例えば、『平和』を『何も起こらない』というイメージに置き換えることができます。

また、『健康』も『(自覚症状が)何も無い』という表現に置き換えることができます。

 

共通するのは、“なにもない”ということなので、

そのまま価値を見出すのは難しいかもしれませんが、

二段階に分けて考えると、

 

まず、自分が最も容易に価値を感じられる物事を思い浮かべます。

そして、それらの物事が“なにもない”状態(平和・健康)の上で成り立っていることを考えれば、

論理的には、平和・健康の価値と結びつけられます。

 

でも残念ながら、“価値”は実感することであって、理屈で理解することはできません。

だから、『失うこと』は、平和・健康の価値を実感するための、唯一のプロセスなのかもしれません。

 

そして、現在、平和と健康を失った人が世界中に存在するわけです。

それが身近な事でなくても、容易に目の当たりにすることができます。

そこで大切なのは『想像力』です。

 

『想像力』を使えば、

他者の身に起こった事を、自分の身に置き換えることができます。

 

あまりにも極端な事は想像し難いかもしれませんが(例えば、至近距離で爆弾が爆発したとか)、

肺炎によって呼吸ができない人と同じ状態にはなれなくても、いっその事、息を止めてみたらいいと思います。

“地獄”でしょ・・・

 

平和というのは自分ひとりでコントロールできるとは限りませんけど、

健康は、ほとんど自分の意志で維持できます。(一度その価値を実感できれば、それを維持するための方法は調べればいくらでもありますから、それを実践するだけです)

 

そして、今ほど健康の価値を想像するのに適した時代も、そう無いはずです。

つきぐっちゃん昼寝

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ワクチン接種後経過

昨日(8月19日 15:00)2回目のワクチン接種(ファイザー)をしました。

 

本日15:00現在(接種から24時間後)の副反応等の様子は、

・注射した腕の痛みは、本日の朝に感じました(1回目の時と同じ)、まだ少し痛いです。

 

・12:00ごろ、“全身の重だるさ”というか、強い眠気を感じたので、1時間ほど睡眠をとったらスッキリしました。

 

・体温は36.5度です(自分にとって平熱)

以上

 

世の中に、新型コロナワクチンについての様々な情報と意見があふれています。

また、一部の情報についての真偽や、ワクチンの賛否についての多くの議論が交わされている事を知っています。

今回、私は自分の判断でワクチン接種を選択しましたが、

その判断基準(ワクチン接種を選択するに至った思い)は、一個人にしか当てはまらないものであり、

他者にワクチン接種を奨める意図は全くありません。

 

2回目の方が副反応が強く出るという話も伝え聞いておりましたので、

前もって、本日は休業とさせていただきました。

明日は通常通り営業する予定です。

つきぐっちゃん昼寝

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