たとえ話

ふと、“平和”と“健康”って同じものだと思いました。

それが失われるまで、その価値を実感しにくいものだと思うのです。

 

例えば、『平和』を『何も起こらない』というイメージに置き換えることができます。

また、『健康』も『(自覚症状が)何も無い』という表現に置き換えることができます。

 

共通するのは、“なにもない”ということなので、

そのまま価値を見出すのは難しいかもしれませんが、

二段階に分けて考えると、

 

まず、自分が最も容易に価値を感じられる物事を思い浮かべます。

そして、それらの物事が“なにもない”状態(平和・健康)の上で成り立っていることを考えれば、

論理的には、平和・健康の価値と結びつけられます。

 

でも残念ながら、“価値”は実感することであって、理屈で理解することはできません。

だから、『失うこと』は、平和・健康の価値を実感するための、唯一のプロセスなのかもしれません。

 

そして、現在、平和と健康を失った人が世界中に存在するわけです。

それが身近な事でなくても、容易に目の当たりにすることができます。

そこで大切なのは『想像力』です。

 

『想像力』を使えば、

他者の身に起こった事を、自分の身に置き換えることができます。

 

あまりにも極端な事は想像し難いかもしれませんが(例えば、至近距離で爆弾が爆発したとか)、

肺炎によって呼吸ができない人と同じ状態にはなれなくても、いっその事、息を止めてみたらいいと思います。

“地獄”でしょ・・・

 

平和というのは自分ひとりでコントロールできるとは限りませんけど、

健康は、ほとんど自分の意志で維持できます。(一度その価値を実感できれば、それを維持するための方法は調べればいくらでもありますから、それを実践するだけです)

 

そして、今ほど健康の価値を想像するのに適した時代も、そう無いはずです。

つきぐっちゃん昼寝

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