決してまとまらぬ話

15年ほど前、長崎県佐世保で観光船に乗ったことがあります。

 

その日は、雨風が非常に強かったです(個人の主観です)。

 

乗船場所で列に並んでいると、

ある団体客の中の一人が、声をあげました

『今日、こんな天気で、大丈夫なんですか?』

 

その声を受けてかどうか、わかりませんが、

係員によって、乗船に一旦待ったがかかりました。

 

観光客は、ざわつき始めました。(天候への不安に対する“同意”を含む、様々な感情があったと思います)

 

近くにいた子供が、父親らしき人に聞きました、『船のれないの?』

 

まもなく、観光船が出航するというアナウンスがありました。

 

最初に不安を口にした人は、納得してはいない様子でした。

 

子連れの男性が、誰に向かって言うでもなく、大きな声で言いました、

『プロがイケるって判断したんでしょ?』(苛立ちが感じられました)

 

 

さて、このとき、船に乗るのが不安な人は、

乗らずに待つ選択もできたでしょうが、仲間と共に船に乗りました。

(不安の度合いとしては、その程度だったのでしょう。)

 

子連れの男性が言ったように、

多くの人は、様々な場面で“プロ”の判断をあてにします。

(“プロ”の判断に間違いは無い、という思いと、根底には責任転嫁があります。)

 

誰しも、予定していたことが滞りなく順調に遂行されることを望んでいると思います。

レジャーを楽しみたい人も、それを“仕事として”サポートする人もです。

(人が予定することとは、基本的に“良いことを期待する”だけだと思っています。はじめから悪い事を期待する人はいないと思います。)

 

人それぞれの事情、 本音と建前、 理想と現実、 集団と個人、 自然の猛威、 社会、 経済、 (なんか得体の知れないモノゴト全部)

複雑に絡み合った世の中で、都度、自分の目の前に置かれる選択肢、

それを選んだ結果、何があろうとも、

そういう運命だったと言うしかないのかもしれません。

 

(だってさー、 ここんとこ毎日、一歩間違えれば車に跳ねられそうになってるし)

つきぐっちゃん昼寝

 

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いますぐ止められるはずの事

“戦争”についての報道の中で、

特に、兵士による民間人への“暴力行為”が存在することが問題にされていますね。

 

その事実の有無について、

双方(両陣営)の言い分は異なっているようです。

 

私は、“戦争”において公にされる情報の、

その信ぴょう性を決定的に精査することが出来ませんので、

仮に事実であるなら、という話をします。

 

それは当然、許されることではありません。

しかし残念ながら、“戦争”とはそういうものなのでしょう。

 

だからこそ、“戦争”をしてはいけないのだと思います。

 

81年の映画『マッドマックス2』の、

冒頭のナレーションの一部を思い出します。

『指導者たちは話し合ったが、崩壊を防げなかった・・・一般人は打ちのめされるだけだった・・・』

 

明大寺マッサージ院 挿絵

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他意は無い

いま世の中で、

“兵器”や“薬”を製造する企業が“儲かっている” であろうことは、だれでも容易に想像できます。

(言い方は悪いですが)

話は変わりますが、

物やサービスは、需要が無ければ売れません。

そして、言われてみれば当然かもしれませんが、

ある物やサービスを売り込むための強力な手段の一つとして、

“需要を生み出す” ということがあります。

 

長い間、社会が抱えている様々な問題に対して、

それらの問題に対処する(問題の根絶とは違う)仕事に従事する人はたくさんいます。

 

もしも、

それらの問題を根絶する新たな発想が、世の中に生まれた時、

いままで、問題に対処してきた人たちは、“仕事を失う” という非常に単純な理屈があります。

 

その時に、仕事を守ろうとする人はいるでしょうか?

つまり、需要を生み出そうとする人がいるのか? ということです。

ここで言う“需要”とは、“問題”のことです。

 

施術者である私の仕事もまた、

人々の抱える問題に対処することです。

自分の仕事が好きですが、

人々の抱える問題が、今すぐにでも世の中から無くなることを願っています。

 

zen

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シンプルな話

ある症状に対して、

例えば、腰痛は根本原因を解消しなければ治らず、

(その原因とは、様々あるかもしれませんが)

“腰を揉んだところで改善するものではない” という考え方があります。

 

“痛い場所”は『結果』であって『原因』ではないということですね。

たしかに、そのとおりだと思います。

(ただし・・・腰痛の原因が、“姿勢”にあると判断したとしても、その“姿勢”もまた結果であって原因ではありませんけどね)

 

根本原因って、本当はすごく奥深い問題だと思います。

でも今回言いたいことは、

『結果』と『原因』は“繋がっている”ということです。

 

東洋医学的に考えるなら、

ある原因によって引き起こされる“痛み”は、

無数に存在する“ツボ”とよばれる場所にも現れています。

 

そのツボに『適切な刺激』を与えることで、

原因にアプローチすることができます。

(根本原因かどうかは別の問題ですが・・・)

 

東洋医学は、体と心を一体のものとして考える学問ですから、

心に影響をくわえる“目に見えない要因”をも、ちゃんと原因の一つとして捉えています。

 

はじめに、『腰痛は腰を揉んでも改善しない』という考え方に触れましたが、

実際は、やり方次第なのです。

 

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オープンワールド

幸いにも、今現在、自分の日常生活は、昨日までと同じ様に、

一言で言えば“平和”に過ぎようとしています。(そう見えます)

 

同じ時に、戦争状態に置かれている国があります。

国際的なイベントを開催する国があります。

 

それらに関する膨大な情報を、(その真偽はさておき)

望むだけ収集することができます。

 

そのような状態が当たり前になって久しいのですが、

その裏で、“世界を狭く感じる”ことがあるなら、

それは危険な感覚なのではないか?と感じました。

 

何がどう危険なのか、うまく言えないので、

漠然とした違和感を感じるだけなのですが、良いことではない感じが強いのです。

 

世界情勢を把握して、

それに対して自分の意見を持ち、

自国の政治について主権者としての意識をもち、

常に、常に、(もはや)一つの世界の中の一人間としてあり続ける『責任』?『義務』?

それは立派なことなのかもしれませんが、

人間は、そんなことの為に生きるわけではないと思います。

 

元より、世界は想像を絶するほど広く、人間一人一人の人生は長く、歴史は遥かに長く、

そこにある全ての情報を把握することなど不可能です。(人生をかけて学問として取り組んだとしても不可能です)

少なくても、人間には不可能です。

 

現在、分かった気になっている全ての事柄について、

全く分かった内に入らない(であろう)ということを、

常に自覚しております。

(なにも知らずに一生を終えたって、なんにも悪くないよー😸)

明大寺マッサージ院 挿絵

 

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なんか腹立ってきた

ある国が他の国に対して、軍事力を伴って介入する、

という事が、また起こりました。

(正確に言えば、“顕在的な状況に変化が起こった”ということなのかもしれませんけど)

 

ある国の中に他の国の領土として『基地』が存在することに、大義名分が有るように、

歴史上の“侵略行為”にも大義名分が有ったことでしょう。

 

なぜ、大義名分の正当性を主張する手段として、最終的には軍事力が選択されるのか?

 

なぜ、(事の善し悪しは別にして)国際的スポーツイベントの方が優先された(感が有る)のか(時期的に)?

 

なぜ、現実味を感じないのか(感じられないのか)?

 

街中を兵士が行き来し、戦車が走行していれば、それはもう“戦争状態”であると考えてよいのか?

 

“国益”とは、どんな犠牲をはらってでも優先されるべき事なのか?

 

 

実際に湧いてくる思考は、もっと直接的で直感的な言葉ですが、

一つ言っておきたいのは、

どんな理由が有ろうと、戦争は許されず、戦争を誘発する行為も許されないということです。

 

それにしても、なぜ実行されてしまった?

なぜ現実味を感じられない?(どうしても感じられない。病気なのか?)

 

つきぐっちゃん昼寝

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三日会わざれば刮目して見よ

謎の拳法を求めて

 

松田隆智(まつだ りゅうち)さんをご存知でしょうか。

ここ岡崎市のご出身で、武術家であり、武術研究者であり、

特に中国武術研究に関しては日本における第一人者といえる存在です。

 

10年ぐらい前、武術関係の雑誌の中で、

とても印象深い記事(松田さんの連載)がありました。

そこには次のような趣旨のことが書かれていました。

 

『何かを新たに学ぶと、それまで学んだことが(自分の中から)消えてしまう』

『自分は自分が理想とするモノを作り上げればいい』

(※厳密に記事の内容通りの言葉ではありません)

 

松田隆智さんは、多くの“武術遍歴”で知られています(武術家としても、研究家としても)

私は、この記事を読んだ時に、

松田さんご自身が最終的に求めていたものは、決して他者から学び取ることは出来ない(ヒントは得られたとしても)と確信されたのだと思いました。

そして、非常に共感しました。

 

何かを追い求めるとき、

たとえば、“最強の武術”を求めるとして、

『どこの・誰に・何を学ぶか?』と考えるのは、『どこかに答えがある』という考えが前提になっているからです。

よく言われる『どの流派が最強か』という問いと同じです。(問いの立て方が間違っているので、答えがありません)

仮に、どこかに答えが存在したとしても、あても無く彷徨い続けることになります。

どこかに辿り着いたとしても、それが答えであると証明出来ない以上、確信に至ることはないからです。

 

何かを追い求めるとき、

その『何か』は明確でなくてはいけません。

それこそ自分の中にしか存在しません。

 

“治療業界”においても、いろいろな技術が存在しています(少なくても、そう見えます)が、

だからといって、いろいろな技術を身につけたいとは思いません。

自分の身につけたいものは明確であり、

今あるものを突き詰めていった先に、それがあると確信しているからです。

松田隆智さんは晩年、ご自身の武術の核心である、いわゆる『中段突き』の技を徹底修練する道に至ったそうですが、それと同じことです。

 

いろいろなものを見て学ぶ事自体が悪いわけではありませんが、

『知識+やり方』(武術なら「こう来たら、こうする」という次元)を“コレクション”することと、

『能力(チカラ)』(= 真の技術)を“練磨”することは、全く違う道です。

 

わたしは太極拳が大好きで、施術をするときの動きはすべて太極拳の基本に通じています。(一見しても分からないかもしれませんが)

『身体操作によって導いた力を、相手の体に作用させる』という点では、武術も施術も同じです。

太極拳を修練することが、そのまま施術に生かされています。

それが他者と比べてどうなのか?という問題ではなく、

自分の理想であるということです。

自分の人生ですから

 

myoudaitemple

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現実の話

姪っ子(高校2年)がコロナに感染しまして(2月2日検査にて)、

本日(2月4日)時点でも、未だ保健師さんが当人宅へ来訪出来ず。

よって、“濃厚接触者”は未確定(同居の家族含む)→その後、保健師さんから電話連絡あり。感染者本人は12日まで自宅療養、家族(感染者の両親)は濃厚接触者となり9日まで自宅待機に決定とのこと。

 

濃厚接触者と認定されたら、『発症日』(2月2日でいいのかな?)から数えて、7日間待機するそうですね。

 

感染者本人(姪っ子)は軽症のまま食欲も有り、本日(2月4日)は学校自体が休校(コロナの影響?)

 

感染が発覚した時点で、家族にもPCR検査が出来ない理由は、

検査キットの不足だそうです。(つまり、「自費でいいから検査してください」と言っても受付られません)

 

とりあえず以上です。

 

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あらまあ・・・

姪っ子(高校2年生)がコロナに感染してしまいました。

 

以下、当人の母親からの情報です。

本日(2月2日水曜日)、“なんとなく喉の痛みを感じ”医療機関へ

(事前の電話にて、「身の周りにコロナに感染した人はいませんか?」という問いに対し、『学校』の事は頭に無かったため「いません」と回答していた)

医師の問診の中で、学校での感染状況について言及され、

学校ではコロナ感染者が出ていたことが発覚する

PCR検査の結果『陽性』(※現在、感染が拡大しているとされるオミクロン?)

2週間の自宅療養が決定

この情報は保健所へ

(保健所が調査を行い、“濃厚接触者”が決まるらしい)

(同居している家族とて必ずしも濃厚接触者になるわけではないらしいが、現時点では未確定)

 

当人の主観的には、「検査しなければ、何も発覚しないまま回復しているかもしれない(※それぐらいの軽症である)」とのこと

 

私に関しては、濃厚接触者になる可能性は極めて低いですが、情報が更新され次第、速やかにご報告いたします。

 

当人が受診した医療機関では、同様のケースが疑われる患者さんが多数来院されていたそうです。

どこの医療機関でも同じような状況だとすると、

そこから先の情報処理に伴う業務も相当なものだろうと思いました。

 

以上です。参考までに

つきぐっちゃん昼寝

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