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内藤選手が・・・

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恒例のプロレスのイベントが、例年どおりに開かれました。

東京ドームで、二日間にわたって行われました。

歓声をあげられず、基本的に「拍手」のみで応援するスタイルです。

これはもう、あたりまえになっていくのかもしれません。

その一方で、「ライブ配信」(生中継)というものも、あたりまえになっていくのでしょう。

だれかが言ってました、『会場で声だせないから、家でワ―ワ―言いながら観るのもアリかも』と

もともと「移動」がしにくいということもありますしね

テレビがもっと、いろんなものを『無料』で生中継するといいですね、

よけいな演出とか、出演者とか必要ないんだから、

スポンサーがお金だして、観るのはタダで、

CMが入るのは仕方ないとして、

よくわからないけど、

つきぐっちゃん昼寝

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壊れています

『好転反応(こうてんはんのう)』という言葉を聞いたことはあるでしょうか、

個人的には、施術者として積極的に使いたい言葉ではないのですが、

体が根本的に『より良い』状態になる過程で感じる、一時的な違和感です(いろんな現象があります)

体の状態を『好転』させるための『リスク』(基本的に、避けて通れないもの)と考えている人もいるようです。

それが本当に『好転反応』なら良いのですが、

我々の業界でいうと、ただの『もみかえし』を好転反応だと言っている場合もあるのです。

『もみかえし』は断じて『好転反応』ではありません、『好転』しません。

短時間で強い刺激(ときには患者さんの求めに応じて)を与えようとするとき、表層の筋肉を壊しているのです。

結果的に、壊れた筋肉は硬くなり、血流は悪くなり、感覚は鈍くなり、

『空手家の拳』が肉も皮も骨のように硬くなるかのごとく、

自分の肩まわり・背中・首筋がそうなることを想像してみてください。

つきぐっちゃん昼寝

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シンプルな話

前回の記事にも関連しますが、

『ツボ』というのは、『気』が出入りする所です。

ツボが閉じていると気が出入りできず、

体の中で滞ったり、気を取り込めなかったりします。

だから、指で押したり・鍼(はり)を刺したり・灸(きゅう)をすえたりして、

ツボを開くわけです、以上。

このように考えていただければ十分ですが、

少し違った話をします。

いわゆる『ツボ』に限らずとも、刺激をうけた場所は、強烈に意識されますが、

意識した場所には『気』が集まってきます。(『意』が『気』を導くという働きがあるのです。)

よって、意識的に頻繁に使用する体の部位や、日常的によく触れる部位には、気が流れやすいわけです。

 

※余談ですが、あるスポーツの選手には、そのスポーツ特有の体の発達があるものです(スポーツ選手のトレーナーになるには、そのスポーツを知り尽くしていなければなりません。

もしも、良かれと思って体をニュートラルな状態にしてしまったら、その選手の特有の能力を壊してしまうことになります。)

 

太極拳では、『意』で『気』を導き、『気』が流れることで生まれる『勁(けい)』という力で体を動かします。

そして、太極拳が身につくと、『形の名前』を思い浮かべただけで、実際に動作したときと同じように『気』が流れるのです。

『形の名前』に『意』がこめられていくわけですね。『ことだま』というやつです

myoudaitemple

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そもそもの話

すごく大切だと思うことがあるので、お話しします。

犬や猫にも、東洋医学の『経絡治療』を行う事はできます、

例えば、さまざまなストレスが原因となって、起こる現象(あえて『症状』とは言いません)に対して、

『怯え』でも『イライラ』でも『マーキング(スプレー)』でも、

『神門(しんもん)』『液門(えきもん)』『気海、関元(丹田)』をマッサージすることは有効です。

しかし、ここで矛盾が生じるわけですよね、

上に挙げたツボの場所(前肢の先端、腹部)は、さわられること自体がストレスになるということです。

この点が、とても重要だと思います。

つまり、『対症療法』としてではなく、

日ごろから触られ慣れている → 『ストレスに強くなる』(即ちトレーニングとして)

という考え方が大切だと思います。

 

神門液門丹田

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かたづけの肝

年末の大掃除は、もうお済みでしょうか、

ずいぶん前から、「断捨離」という言葉が世間でもてはやされるようになりましたね。

それについては、さまざまな考え方(価値観・信念)があるのでしょうけど、

ところで、捨てるものが多いということは、いらないものが多いということですが、

なぜ、いらないものが多いのでしょう

答えは、ほんとうに必要なものだけ持っていないからです。(簡単ですね)

ほんとうに必要なものは、人それぞれですが、

問題は、ほんとうに必要なものを所持する『術』を知らなければ、いくら「断捨離」をしても、またいつか「いらないもの」に囲まれることになるということです。

たとえば、『気の鍛錬』をすることで直観力がつよくなり、論理的な思考を飛び越えて、所持すべきものの選別がしやすくなります。

(ある意味では、好き嫌いに縛られなくなります)※『軸』が強化されることによって意識は中心に向かい、深層の価値観が、より鮮明になるということだと思います。

同時に、すでに所持しているものを活用(代用・リフォーム)することに意欲的になります。(そういうことを好ましく感じるようになります)※これも、意識の方向が『発散』『拡張』ではなく『収束』へ向かうことの表れだと思います。

結果的に、無駄なものは極端に少なくなります。(単にモノが少なくなるという事ではありません)

『買って失敗、捨てて後悔』ということもなくなります。

さらに、ちょっと不思議なんですが、『テトリス』というゲームみたいな現象が起こることがあります。

(例えが分かりにくいかもしれませんが・・・)

役目を終えた「モノ達」が上手く繋がって誰かの役にたったり、最後に思わぬ仕事をして償却されたり、ときにはお金に変わったり、

といった感じで、断捨離すること自体にとらわれなくて済むようになるのです。

 

さて、ここまで話した後に言うのもなんですが、

無駄なもの(事)など、ほんとうは一つもない(ありえない)と断言いたします。(それを納得する、しないに関わらずです)

つきぐっちゃん昼寝

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