ブログ一覧

現実の世界

アメリカのニューヨークで、

パレスチナ人のデモ隊とイスラエル人のデモ隊が、道路を挟んで互いを非難しあっていたそうです。

(彼等は移民でしょうから、正確に言えば、皆アメリカ人ですが)

 

インタビューを受けたパレスチナ人の女性は、

『イスラエルが虐殺を行ったから、ハマスが生まれた』と言っていました。

このパレスチナ人女性は、ハマスの行った “テロ行為” を支持しているわけではありませんが、元をたどればイスラエルの行いに原因があると主張しているのでしょう。

 

 

直接の当事者ではなく、

また、異なる民族間の長い歴史について、大して知識を持たぬ者が、『対立を辞めろ』『報復を辞めろ』と言うのは簡単なことです。

しかし、そこには想像力が必要です。

 

報道されている事実だけでも、

多くの民間人が、武力行為の巻き添えになっていることは分かります。

 

それが、『もしも自分の家族だったら』という想像が必要だと思うのです。

 

というか、それは想像を絶するほどの悲しみと、そして怒りでしょう。

 

 

かつて、(随分むかしに見たことで、記憶が薄れていますが)

広島と長崎で毎年行われる、原爆の犠牲者を追悼する行事において、

(広島か長崎か忘れてしまいましたが)

アメリカ軍の関係者が慰霊碑に献花を行ったとき、

一部の被爆者と遺族が『ゴー、ホーム』と連呼し、さらに数人の男性が、供えられた花輪を足で踏みつけたのでした。

その光景がテレビで放映されていたのを見た時、私は衝撃をうけました。

 

この時も、もし私に想像力があれば、受け止め方は違っていたかもしれません。

 

 

ロシアとウクライナの戦争についても同じことですが、

紛争は、いつかは必ず終わるでしょう、

仮に、将来ふたつの国の国交が、表向きは回復したとしても、

家族を失った人たちの悲しみと怒りが消え去るわけがない、と思います。

 

国際社会の中で “テロリスト” と認識されている人々も、

元々は、そうやって生まれてくるのかもしれません。

 

 

とにかく今も、取り返しのつかない『分断』が起こっています。

だから、戦争をしてはいけないのです。

 

つきぐっちゃん昼寝

『私に隙あらば・・・』

むかしから、見るたびにモヤモヤする『とある光景』があります。

 

なにかと言いますと、

 

いわゆる『武術の達人』が、弟子を相手に、“技” の解説などを行うとき、

弟子は、師匠の技に、あっさりと掛かってしまうことが多いのですが、

“弟子”というものは往々にして、“すごい先生” の弟子であることにステータスを感じているので、

師匠の“神技” を一緒に再現することが、半ば無意識に当たり前になってしまい、

なおかつ未熟なので、師匠に対する“忖度” があからさまに見えてしまうのです。

 

 

先に言っておきますが、

わたしは、現代においての『武術』というものの価値について一定の考えを持っており、

それは、とても多面的な価値観であり、

例えば、病気によって往年の能力を失っていたとしても『すばらしい達人』といえる人が存在することを認めます。

 

それを踏まえた上で、

弟子は師匠に対して、余計な気遣いをすべきではないと思うのです。

そこには信頼が必要です。

 

 

実際に目の当たりにしたケースの話をします。

 

ある先生とお弟子さんが模範演武を始めました。

お弟子さんは、先生の手に触れたとたんに、自由を奪われたかのように「ウッ」っと軽く呻いて身体を硬直させました。

ところが、

先生は、初めに“ダメな例” を示そうとしていたのでした。

つまり、まだ本気で技をかけていなかったのです。

 

先生は達人ですから、たとえ本気でなくても未熟な弟子には技が掛かってしまったのかもしれませんが、

あきらかに、先にも述べた『師匠の“神技” を一緒に再現することが、半ば無意識に当たり前になってしまい、』が見て取れました。

 

この時のお弟子さんの反応が本物かどうか、

確かな事は、結局本人にしか分かりませんが、

師匠の技が効いていないのに『効いたふり』など絶対にしてはいけないと思います。

 

 

この時のやり取りが、どのように続いたのかというと、

先生は、こう言いました。『これだと(技は)かからないんですが、(-_-;) でも、こうすると・・・』

お弟子さんは、先ほどよりも苦しそうに呻きながら、床にしゃがみ込んでしまいました。

 

 

私の見立て通りに、お弟子さんの忖度があったとしても、私は、この先生に限っては、その実力を疑うつもりはありません。

そのような一面的な事では推し量れないほど、

武術を実践することの価値は底知れないと知っているからです。

もちろん、私個人の価値観です。

 

myoudaitemple

悲しいとき~

7←クリックすると拡大

 

海で魚釣りをする人にとって、非常にポピュラーな釣り場のひとつに、

いわゆる『漁港』が挙げられると思います。

私自身も、地元の愛知県岡崎市から近い蒲郡市の漁港で釣りをします。

 

 

漁港というものは、

主に漁業のために整備された場所であり、自治体や “漁協”(組合)によって管理されている場所です。

 

 

そのような漁港が一般人の立ち入りを禁止していたとしても、

基本的には、あたりまえの事と言えます。

 

しかし、

多くの漁港では、(全くの無制限ではありませんが)一般の釣り客の立ち入りが黙認されているのが現実ではないでしょうか。

 

黙認と言いますのは、

厳密に法律等に照らした話は別として、実際には(ごく一般的な?常識的な?)“人々の良識的な行動” に依存するかたちで、

防波堤などの施設への部分的な立ち入りと、そこで魚等を採取することに対して、

特に罰せられることが無い状態を指します。

 

 

人々の良識的な行動とは、

たとえば、

・ゴミを持ち帰る(持ってきた物をその場所に残さない)

 

・『立ち入り禁止』と明記されている場所に立ち入らない(漁業関係者に迷惑をかけない)

 

・小さな魚は逃がす等、魚を採りすぎない(水産資源の保全)

 

など・・・

※( )内に書いたことは、根底に求められる意識です。

 

 

そのような良識的な行動が逸脱されるようなら、

漁港は、『釣り禁止』あるいは『立入禁止』となってしまうでしょう。

 

 

 

考えてみれば、

海水浴場にゴミ問題があったとしても、

そもそも沢山の人が訪れることで成り立っている以上、閉鎖される事は考えにくいのかもしれませんが、

漁港は本来、沢山の人が釣りをするための場所ではないのですから。

 

 

とはいえ、それって余程の事なんじゃないの? と思われるかもしれませんが、

残念ながら、釣り禁止・立入禁止の場所が増えているのが現実です。

 

ちなみに、事故が起こった場合も即立入禁止です。

この場合は、海水浴場だって遊泳禁止になりますよね。

 

 

常々、理解に苦しんでいる事として、

釣りが好きな人は皆、

“マナー” を守ることが、釣り場を守ることだと分かっているはずなんですが、

しかし、

釣り場に落ちているゴミは、まぎれもなく釣り人が置いていった物だと分かります。

なぜなら、

それらが、釣り具のゴミだからです。(包装紙・ビニールなど)

 

あいさつブログ

Twitterはこちら

説明十分

あるところに『Aさん』という人がいました。

 

Aさんは、こう言いました。

『私は、いろいろな事を考えるスピードが遅くて、物忘れも多いです。』

 

『忘れても、大して問題にならない事なら気にしませんが、大切な事はメモしておかないといけません。』

 

『私に頼み事がある時は、必ずメモしてください。メモしてあることは、必ずその通りにやります。書いてない事はやりません。』

 

『その際、たとえ毎日メモしてある事でも、その日にメモしてなければ、その日はやりません。書き忘れかな?と思うかもしれませんが、そうではないかもしれないし、他の人なら気を使って融通をきかせるような事でも、私は、そういうことが出来ないんです。だから、大切なポイントがあったら、必ず書き添えてくださいね。』

 

 

(補足)Aさんは、慣れた事なら、人並み以上に早く正確に行える人でもあります。

 

 

Aさんは “能力の高い人” だと、私は思います。

先述した通り、

Aさんは、ご自身の能力(思考の特徴など)を自覚された上で、

大きな問題(特に他者との関係において)が起きないように、周囲に対しても前もって注意喚起をしてらっしゃるからです。

 

逆に言えば、

私なら、絶対に間違いがあってはいけないような大切な事を、Aさんには頼みません。

(Aさんに限らず、他者には頼みません)

だれが見ても確実に遂行できるような『説明書き』を書くことは、非常に難しいことだと思います。

 

 

Aさんに対して『それぐらい言わなくても分かると思って・・・』という考えは通用しません。

『他の人なら気を使って融通をきかせるような事でも、私は、そういうことが出来ないんです。』と、

ちゃんと説明されていますから。

 

つきぐっちゃん昼寝

 

Twitterはこちら

毒舌

人々の大切な財産である “貯金” を

必死になって “投資” させようとしてる輩がいるんですね。

(しかも “外国” に)

 

ここで言ってる “投資” というのは、

多くの人がイメージするような、

短期間でお金を増やす

という目的だけの、

株やら仮想通貨やらを含めた超くだらねえ話のことです。

 

銀行預金だって “投資” だけど、

多くの人は、単なる貯金だと思ってるでしょ?

私もそうです。

それはそれで、いいんです、べつに。

 

 

『投資』って、

本来すごく壮大な、夢と希望のあるモノだと思います。

というか、究極的には、それしかないモノなんだと思います。

でも、そこには計り知れない大きな価値があると思うんです。

 

 

アホみたいな理屈で、人々の老後の、

経済的な不安を煽り、

“資産運用” という、ちょっと誠実そうな言葉(私はそう思っている)と、

低リスクであるということ(この場合、リスクという言葉すら憚られるのだろう)を掲げ、

 

とにかく “投資” は今や、こんなにも敷居が低くて、

やらにゃ損、損、

“投資” こそが、人々のあらゆる不安を解決してくれる、と言わんばかりに、

広告塔としてアピールし続ける、芸能人たちのアホづら見てもイライラしますが・・・

 

 

実際に、“投資” で大きな成果を得た人がいたとしても、

その人は所詮 “ギャンブル” に当たっただけのこと。

 

 

はっきり言いますが、

お金は大切ですよ。(大切でしょ?)

“ギャンブル” なんぞ、1ミリたりともお金を大切にする行為ではないんですよ💢

 

そう思いませんか。

思わない?

 

あ、そう

 

明大寺マッサージ院 挿絵

 

Twitterはこちら