先日、かたずけモノをしていると、古い釣り具が出てきました。
それは、自分が中学1年のとき(37年前)に買った『リール』でした。
リールというのは釣糸を巻いておく道具ですが、
そのリールは、釣竿とセットで1000円ほどで売られていたモノでした。
釣り具というものは、高いものでは数万円~数十万円、
釣竿とセットで1000円前後というのは、いちばん安物の部類です。
そして、そのリールも、たしかに安物なのですが、
現在、釣具店で見る同程度の値段のモノと比べて、何か異質なものを感じました。
まったく飾り気のない外観と、
(小さい割には)持ったときに感じる『重さ』、
何十年も昔のクルマを見ているような・・・
すぐに思いました、『まだ十分使える、むしろ使ってみたい、面白そう』と、
昔と今とで、お金の価値が違うとしても、
1000円前後という値段が最安値の部類であるということは変わりません。
しかし、ハッキリいって、
そもそもの、モノづくりのテーマのようなものが、現代の安物とは違うように思えたのです。
なんと言いますか、
『限られた予算の中で、その道具が備えるべき最低限の機能性には抜かりが無い』という感じです。
また、(安物なりに)道具として使い続けられる、という前提があるように思います。
ここ最近の “釣りブーム” の中で、安物の釣り具というものは、釣りをやったことが無い人が特に気まぐれで購入し、一回きりで興味が失せて、そのまま釣り場に遺棄されることも少なくありません。
つまり、半ば『ゴミ』になることが前提で、だからこその安物であり、
それを売る側にとっても、売れさえすればいいのかもしれません・・・
その古いリールを暫くのあいだ眺めていると、
最後に、強烈なモノを発見しました。
とても象徴的で、
ひょっとすると、最初に感じた『異質さ』の正体なのかもしれません。
それは、『MADE IN JAPAN』の文字でした。
日本人にとって、
身のまわりにある多くの物が『メイド イン ジャパン』だった時代、
(安物の釣り具でさえも)
それが当たり前だった時代があったのでした。