むかしから、見るたびにモヤモヤする『とある光景』があります。
なにかと言いますと、
いわゆる『武術の達人』が、弟子を相手に、“技” の解説などを行うとき、
弟子は、師匠の技に、あっさりと掛かってしまうことが多いのですが、
“弟子”というものは往々にして、“すごい先生” の弟子であることにステータスを感じているので、
師匠の“神技” を一緒に再現することが、半ば無意識に当たり前になってしまい、
なおかつ未熟なので、師匠に対する“忖度” があからさまに見えてしまうのです。
先に言っておきますが、
わたしは、現代においての『武術』というものの価値について一定の考えを持っており、
それは、とても多面的な価値観であり、
例えば、病気によって往年の能力を失っていたとしても『すばらしい達人』といえる人が存在することを認めます。
それを踏まえた上で、
弟子は師匠に対して、余計な気遣いをすべきではないと思うのです。
そこには信頼が必要です。
実際に目の当たりにしたケースの話をします。
ある先生とお弟子さんが模範演武を始めました。
お弟子さんは、先生の手に触れたとたんに、自由を奪われたかのように「ウッ」っと軽く呻いて身体を硬直させました。
ところが、
先生は、初めに“ダメな例” を示そうとしていたのでした。
つまり、まだ本気で技をかけていなかったのです。
先生は達人ですから、たとえ本気でなくても未熟な弟子には技が掛かってしまったのかもしれませんが、
あきらかに、先にも述べた『師匠の“神技” を一緒に再現することが、半ば無意識に当たり前になってしまい、』が見て取れました。
この時のお弟子さんの反応が本物かどうか、
確かな事は、結局本人にしか分かりませんが、
師匠の技が効いていないのに『効いたふり』など絶対にしてはいけないと思います。
この時のやり取りが、どのように続いたのかというと、
先生は、こう言いました。『これだと(技は)かからないんですが、(-_-;) でも、こうすると・・・』
お弟子さんは、先ほどよりも苦しそうに呻きながら、床にしゃがみ込んでしまいました。
私の見立て通りに、お弟子さんの忖度があったとしても、私は、この先生に限っては、その実力を疑うつもりはありません。
そのような一面的な事では推し量れないほど、
武術を実践することの価値は底知れないと知っているからです。
もちろん、私個人の価値観です。