気がつけば都市型スローライフの香りいたしまして、
本日はナスとミニトマトでございます。
ミニトマトはバジルと酢漬けにいたすそうな(なんか体には良さそうでございます。)
・・・梅雨入りしたんですよね?
「三脈護身法(さんみゃくごしんほう)」というものを聞いたことはありますでしょうか。
首すじの脈(けいどうみゃく)2か所と手首の脈(とうこつどうみゃく?)例えば右側の合計3か所の脈を同時に診て、3か所がバラバラだと「24時間以内に生命にかかわる危険が訪れる」というものらしいです。(※脈というのは、心臓の動きの振動が血管を伝わったものですから、異なる部位で同時に診ても本来は一致しているわけです)
「生命にかかわる危険」というのは、身体的な障害にかぎらず、外から降りかかる災難の場合もあるそうです。つまり体が何かの予兆に反応してるってことです。不思議な話ですけど、「バタフライ効果」という現象を思い出しました。(※バタフライ効果の話は省きます)
でも、予知しただけだと、何をどう対処していいかわかりませんよね、ただ怖いだけで。
この護身法の真髄は、「ある方法」でバラバラの脈を一致させるらしいです。(どんな方法かは知りません、ひょっとして鍼とか?)
すると、なんと「迫りくる危機を退けられる」と・・・
例えばですけど、「心臓発作を未然に防いだ」とかなら解るような気もします、でも「外的な災難を退ける」ことはあり得るでしょうか。
私は、この話を否定したいわけではなく、すごく興味深い話だと思っているんです。なぜなら「体の状態が外がわの現実を変える」という話だからです。
(もうひとつ別の話で、「オーリング」というものについて、またいつかお話しします、ありがとうございました。)
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私にとって健康とは何か?といいますと、むりやり言葉にすると、平和な日常とか望ましい現実とか、その中で生きているとき自分は健康だと思っています(いまのところ)
例えば、犯罪や事故に巻き込まれてばかりだとしたら、いかに強靭な肉体でも健康ではないということです(具体的な事柄に対してなら、健康か不健康かハッキリ言えるんですけど、まとめるのはすごく難しいんですよね)
なぜそう考えるのかというと、というか、考えるのではなく、体に問うた結果そうなりました。
その人にとっての健康の定義は、からだが知っています。
(「からだに問う」ことに関連して、またいつかお話しします、ありがとうございました。)
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(訂正前)当院へお越しの際、名鉄「東岡崎」南口11番のりばから 『竜美丘循環バス』をご利用されるお客様へ、
「東岡崎」から「岡崎高校前」までの運賃⦅260円(片道130円)⦆を施術料金の中から返金いたしますので、お申し出ください。
証明書・領収書などをご提示いただく必要はございません。
会社員だったころ一緒に仕事をしていた人の話をします、Aさんと呼びます。
Aさんは常にタバコをすっていました。
ある時、会社の健康診断の結果とその後の医師の診察結果について話しをしました。
Aさんは言いました「〜が高いって、(※たぶんコレステロールとか血圧のことだったと思う)タバコ減らすか止めるかした方がいいって・・・」
私は軽い気持ちで言いました「やめればいいじゃん」
Aさんと対話した医師は、喫煙のリスクについて話をしたはずだと思います。
でも結局、Aさんにとって健康診断の結果とは、いろんな数値が正常範囲であるか否かという意味しかありませんでした。
だったらAさんがタバコを止められるわけがありません、だってやめるだけの価値がないんだから(本人にとって)
(私にとって健康とは何か、またいつかお話しします、ありがとうございました。)
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ある目的のために体の状態を良くしたいということは、すごく建設的な考えなので、どんな問題でも必ず改善されていくと思います。(施術者ではなく当人が主体となって)
それと、たぶんですけど、こういう考えをもつ人は「健康」という言葉にこだわってないと思います。(人生において、やりたい事が不自由なくできればOKとか)
本人の意識にかかわらず、世の中の大部分の人は「健康の範疇」だと、私自身は思っています。「健康ってことでいいじゃないですか」と、
ところでWHO(世界保健機関)の「健康」の定義は、「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に病気が無いことではない」となっています。
だから例えば、健康診断の結果すごく良かったけど何かコンプレックスがあるからダメみたいな話でしょうか。
(健康観についてもう少しお伝えしたいことがありますが、またいつかお話しします、ありがとうございました。)
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