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いますぐ止められるはずの事
“戦争”についての報道の中で、
特に、兵士による民間人への“暴力行為”が存在することが問題にされていますね。
その事実の有無について、
双方(両陣営)の言い分は異なっているようです。
私は、“戦争”において公にされる情報の、
その信ぴょう性を決定的に精査することが出来ませんので、
仮に事実であるなら、という話をします。
それは当然、許されることではありません。
しかし残念ながら、“戦争”とはそういうものなのでしょう。
だからこそ、“戦争”をしてはいけないのだと思います。
81年の映画『マッドマックス2』の、
冒頭のナレーションの一部を思い出します。
『指導者たちは話し合ったが、崩壊を防げなかった・・・一般人は打ちのめされるだけだった・・・』
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他意は無い
いま世の中で、
“兵器”や“薬”を製造する企業が“儲かっている” であろうことは、だれでも容易に想像できます。
(言い方は悪いですが)
話は変わりますが、
物やサービスは、需要が無ければ売れません。
そして、言われてみれば当然かもしれませんが、
ある物やサービスを売り込むための強力な手段の一つとして、
“需要を生み出す” ということがあります。
長い間、社会が抱えている様々な問題に対して、
それらの問題に対処する(問題の根絶とは違う)仕事に従事する人はたくさんいます。
もしも、
それらの問題を根絶する新たな発想が、世の中に生まれた時、
いままで、問題に対処してきた人たちは、“仕事を失う” という非常に単純な理屈があります。
その時に、仕事を守ろうとする人はいるでしょうか?
つまり、需要を生み出そうとする人がいるのか? ということです。
ここで言う“需要”とは、“問題”のことです。
施術者である私の仕事もまた、
人々の抱える問題に対処することです。
自分の仕事が好きですが、
人々の抱える問題が、今すぐにでも世の中から無くなることを願っています。
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シンプルな話
ある症状に対して、
例えば、腰痛は根本原因を解消しなければ治らず、
(その原因とは、様々あるかもしれませんが)
“腰を揉んだところで改善するものではない” という考え方があります。
“痛い場所”は『結果』であって『原因』ではないということですね。
たしかに、そのとおりだと思います。
(ただし・・・腰痛の原因が、“姿勢”にあると判断したとしても、その“姿勢”もまた結果であって原因ではありませんけどね)
根本原因って、本当はすごく奥深い問題だと思います。
でも今回言いたいことは、
『結果』と『原因』は“繋がっている”ということです。
東洋医学的に考えるなら、
ある原因によって引き起こされる“痛み”は、
無数に存在する“ツボ”とよばれる場所にも現れています。
そのツボに『適切な刺激』を与えることで、
原因にアプローチすることができます。
(根本原因かどうかは別の問題ですが・・・)
東洋医学は、体と心を一体のものとして考える学問ですから、
心に影響をくわえる“目に見えない要因”をも、ちゃんと原因の一つとして捉えています。
はじめに、『腰痛は腰を揉んでも改善しない』という考え方に触れましたが、
実際は、やり方次第なのです。
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春
オープンワールド
幸いにも、今現在、自分の日常生活は、昨日までと同じ様に、
一言で言えば“平和”に過ぎようとしています。(そう見えます)
同じ時に、戦争状態に置かれている国があります。
国際的なイベントを開催する国があります。
それらに関する膨大な情報を、(その真偽はさておき)
望むだけ収集することができます。
そのような状態が当たり前になって久しいのですが、
その裏で、“世界を狭く感じる”ことがあるなら、
それは危険な感覚なのではないか?と感じました。
何がどう危険なのか、うまく言えないので、
漠然とした違和感を感じるだけなのですが、良いことではない感じが強いのです。
世界情勢を把握して、
それに対して自分の意見を持ち、
自国の政治について主権者としての意識をもち、
常に、常に、(もはや)一つの世界の中の一人間としてあり続ける『責任』?『義務』?
それは立派なことなのかもしれませんが、
人間は、そんなことの為に生きるわけではないと思います。
元より、世界は想像を絶するほど広く、人間一人一人の人生は長く、歴史は遥かに長く、
そこにある全ての情報を把握することなど不可能です。(人生をかけて学問として取り組んだとしても不可能です)
少なくても、人間には不可能です。
現在、分かった気になっている全ての事柄について、
全く分かった内に入らない(であろう)ということを、
常に自覚しております。
(なにも知らずに一生を終えたって、なんにも悪くないよー😸)