ブログ一覧

シンプルな話

ある症状に対して、

例えば、腰痛は根本原因を解消しなければ治らず、

(その原因とは、様々あるかもしれませんが)

“腰を揉んだところで改善するものではない” という考え方があります。

 

“痛い場所”は『結果』であって『原因』ではないということですね。

たしかに、そのとおりだと思います。

(ただし・・・腰痛の原因が、“姿勢”にあると判断したとしても、その“姿勢”もまた結果であって原因ではありませんけどね)

 

根本原因って、本当はすごく奥深い問題だと思います。

でも今回言いたいことは、

『結果』と『原因』は“繋がっている”ということです。

 

東洋医学的に考えるなら、

ある原因によって引き起こされる“痛み”は、

無数に存在する“ツボ”とよばれる場所にも現れています。

 

そのツボに『適切な刺激』を与えることで、

原因にアプローチすることができます。

(根本原因かどうかは別の問題ですが・・・)

 

東洋医学は、体と心を一体のものとして考える学問ですから、

心に影響をくわえる“目に見えない要因”をも、ちゃんと原因の一つとして捉えています。

 

はじめに、『腰痛は腰を揉んでも改善しない』という考え方に触れましたが、

実際は、やり方次第なのです。

 

明大寺マッサージ院 挿絵

Twitterはこちら

オープンワールド

幸いにも、今現在、自分の日常生活は、昨日までと同じ様に、

一言で言えば“平和”に過ぎようとしています。(そう見えます)

 

同じ時に、戦争状態に置かれている国があります。

国際的なイベントを開催する国があります。

 

それらに関する膨大な情報を、(その真偽はさておき)

望むだけ収集することができます。

 

そのような状態が当たり前になって久しいのですが、

その裏で、“世界を狭く感じる”ことがあるなら、

それは危険な感覚なのではないか?と感じました。

 

何がどう危険なのか、うまく言えないので、

漠然とした違和感を感じるだけなのですが、良いことではない感じが強いのです。

 

世界情勢を把握して、

それに対して自分の意見を持ち、

自国の政治について主権者としての意識をもち、

常に、常に、(もはや)一つの世界の中の一人間としてあり続ける『責任』?『義務』?

それは立派なことなのかもしれませんが、

人間は、そんなことの為に生きるわけではないと思います。

 

元より、世界は想像を絶するほど広く、人間一人一人の人生は長く、歴史は遥かに長く、

そこにある全ての情報を把握することなど不可能です。(人生をかけて学問として取り組んだとしても不可能です)

少なくても、人間には不可能です。

 

現在、分かった気になっている全ての事柄について、

全く分かった内に入らない(であろう)ということを、

常に自覚しております。

(なにも知らずに一生を終えたって、なんにも悪くないよー😸)

明大寺マッサージ院 挿絵

 

Twitterはこちら

なんか腹立ってきた

ある国が他の国に対して、軍事力を伴って介入する、

という事が、また起こりました。

(正確に言えば、“顕在的な状況に変化が起こった”ということなのかもしれませんけど)

 

ある国の中に他の国の領土として『基地』が存在することに、大義名分が有るように、

歴史上の“侵略行為”にも大義名分が有ったことでしょう。

 

なぜ、大義名分の正当性を主張する手段として、最終的には軍事力が選択されるのか?

 

なぜ、(事の善し悪しは別にして)国際的スポーツイベントの方が優先された(感が有る)のか(時期的に)?

 

なぜ、現実味を感じないのか(感じられないのか)?

 

街中を兵士が行き来し、戦車が走行していれば、それはもう“戦争状態”であると考えてよいのか?

 

“国益”とは、どんな犠牲をはらってでも優先されるべき事なのか?

 

 

実際に湧いてくる思考は、もっと直接的で直感的な言葉ですが、

一つ言っておきたいのは、

どんな理由が有ろうと、戦争は許されず、戦争を誘発する行為も許されないということです。

 

それにしても、なぜ実行されてしまった?

なぜ現実味を感じられない?(どうしても感じられない。病気なのか?)

 

つきぐっちゃん昼寝

Twitterはこちら

三日会わざれば刮目して見よ

謎の拳法を求めて

 

松田隆智(まつだ りゅうち)さんをご存知でしょうか。

ここ岡崎市のご出身で、武術家であり、武術研究者であり、

特に中国武術研究に関しては日本における第一人者といえる存在です。

 

10年ぐらい前、武術関係の雑誌の中で、

とても印象深い記事(松田さんの連載)がありました。

そこには次のような趣旨のことが書かれていました。

 

『何かを新たに学ぶと、それまで学んだことが(自分の中から)消えてしまう』

『自分は自分が理想とするモノを作り上げればいい』

(※厳密に記事の内容通りの言葉ではありません)

 

松田隆智さんは、多くの“武術遍歴”で知られています(武術家としても、研究家としても)

私は、この記事を読んだ時に、

松田さんご自身が最終的に求めていたものは、決して他者から学び取ることは出来ない(ヒントは得られたとしても)と確信されたのだと思いました。

そして、非常に共感しました。

 

何かを追い求めるとき、

たとえば、“最強の武術”を求めるとして、

『どこの・誰に・何を学ぶか?』と考えるのは、『どこかに答えがある』という考えが前提になっているからです。

よく言われる『どの流派が最強か』という問いと同じです。(問いの立て方が間違っているので、答えがありません)

仮に、どこかに答えが存在したとしても、あても無く彷徨い続けることになります。

どこかに辿り着いたとしても、それが答えであると証明出来ない以上、確信に至ることはないからです。

 

何かを追い求めるとき、

その『何か』は明確でなくてはいけません。

それこそ自分の中にしか存在しません。

 

“治療業界”においても、いろいろな技術が存在しています(少なくても、そう見えます)が、

だからといって、いろいろな技術を身につけたいとは思いません。

自分の身につけたいものは明確であり、

今あるものを突き詰めていった先に、それがあると確信しているからです。

松田隆智さんは晩年、ご自身の武術の核心である、いわゆる『中段突き』の技を徹底修練する道に至ったそうですが、それと同じことです。

 

いろいろなものを見て学ぶ事自体が悪いわけではありませんが、

『知識+やり方』(武術なら「こう来たら、こうする」という次元)を“コレクション”することと、

『能力(チカラ)』(= 真の技術)を“練磨”することは、全く違う道です。

 

わたしは太極拳が大好きで、施術をするときの動きはすべて太極拳の基本に通じています。(一見しても分からないかもしれませんが)

『身体操作によって導いた力を、相手の体に作用させる』という点では、武術も施術も同じです。

太極拳を修練することが、そのまま施術に生かされています。

それが他者と比べてどうなのか?という問題ではなく、

自分の理想であるということです。

自分の人生ですから

 

myoudaitemple

Twitterはこちら