幸いにも、今現在、自分の日常生活は、昨日までと同じ様に、
一言で言えば“平和”に過ぎようとしています。(そう見えます)
同じ時に、戦争状態に置かれている国があります。
国際的なイベントを開催する国があります。
それらに関する膨大な情報を、(その真偽はさておき)
望むだけ収集することができます。
そのような状態が当たり前になって久しいのですが、
その裏で、“世界を狭く感じる”ことがあるなら、
それは危険な感覚なのではないか?と感じました。
何がどう危険なのか、うまく言えないので、
漠然とした違和感を感じるだけなのですが、良いことではない感じが強いのです。
世界情勢を把握して、
それに対して自分の意見を持ち、
自国の政治について主権者としての意識をもち、
常に、常に、(もはや)一つの世界の中の一人間としてあり続ける『責任』?『義務』?
それは立派なことなのかもしれませんが、
人間は、そんなことの為に生きるわけではないと思います。
元より、世界は想像を絶するほど広く、人間一人一人の人生は長く、歴史は遥かに長く、
そこにある全ての情報を把握することなど不可能です。(人生をかけて学問として取り組んだとしても不可能です)
少なくても、人間には不可能です。
現在、分かった気になっている全ての事柄について、
全く分かった内に入らない(であろう)ということを、
常に自覚しております。
(なにも知らずに一生を終えたって、なんにも悪くないよー😸)