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『意』と『気』と『力』の話

高岡英夫さん(運動能力や武術の極意などを研究されている方)が、

著書の中で述べられている事を思い出しました。

要約すると、

(ある種の凶悪犯罪者について)

やっている事の善し悪しは別として、

人間の能力的には、精神的・肉体的に“極まった”状態である(その裏には、『身体意識』(※高岡氏の提唱する概念)が最も悪い方向に積み上がった状態がある)

 

私なりの受け止め方で話すと、

『(なんらかの理由で)エネルギーが悪い方向に高まって爆発した』というイメージです。

 

つまり、逆に“善い方向”に働けば、何か『偉業』を成していた可能性もあるということになりますが、

 

一人の人間の『行動原理』というものが“方向性”だとすると、

具体的に行う事柄の大きさ(重大さ)は、そこに込められる“エネルギー”の大きさで決まるのかもしれません。

 

問題なのは、脆弱な“構造”の中に、意図することなく、大きな質量のものが溜め込まれることだと思います。

 

そこには、本当に自分でコントロールしていることが一つも無く、

“自由”も無いと思うんです。

 

だから、人には『意で気を導き、気で力を導く』練習をすすめます。

太極拳にもそういう力があります。

つきぐっちゃん昼寝

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考えるべき時

感染者数の減少、

 

緊急事態宣言の解除、

 

抗ウイルス薬の開発、

 

宿泊施設の予約増、

 

以上の事柄は、“コロナ禍”の現状に関連するワードとして、

最近とくに印象に残っているものです。(個人的に)

 

漠然と、ポジティブな印象をうけると思います。

もちろん、それぞれの事柄には、一応の根拠とされる事実があると思われます。

 

そして、すべての事柄に対して、“否定的な見解”や“慎重論”が存在しています。(同じ事実に対しての認識の違いでもあります)

これこそが大切な事だと思います。

 

『病(やまい)は気から』ではありませんが、

いま、“コロナ”に対しての人々の認識が、なにか『景気』のように変化している気がします。

 

私は、それが決して良いことでは無いと思っています。

zen

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