高岡英夫さん(運動能力や武術の極意などを研究されている方)が、
著書の中で述べられている事を思い出しました。
要約すると、
(ある種の凶悪犯罪者について)
やっている事の善し悪しは別として、
人間の能力的には、精神的・肉体的に“極まった”状態である(その裏には、『身体意識』(※高岡氏の提唱する概念)が最も悪い方向に積み上がった状態がある)
私なりの受け止め方で話すと、
『(なんらかの理由で)エネルギーが悪い方向に高まって爆発した』というイメージです。
つまり、逆に“善い方向”に働けば、何か『偉業』を成していた可能性もあるということになりますが、
一人の人間の『行動原理』というものが“方向性”だとすると、
具体的に行う事柄の大きさ(重大さ)は、そこに込められる“エネルギー”の大きさで決まるのかもしれません。
問題なのは、脆弱な“構造”の中に、意図することなく、大きな質量のものが溜め込まれることだと思います。
そこには、本当に自分でコントロールしていることが一つも無く、
“自由”も無いと思うんです。
だから、人には『意で気を導き、気で力を導く』練習をすすめます。
太極拳にもそういう力があります。