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現実の話

姪っ子(高校2年)がコロナに感染しまして(2月2日検査にて)、

本日(2月4日)時点でも、未だ保健師さんが当人宅へ来訪出来ず。

よって、“濃厚接触者”は未確定(同居の家族含む)→その後、保健師さんから電話連絡あり。感染者本人は12日まで自宅療養、家族(感染者の両親)は濃厚接触者となり9日まで自宅待機に決定とのこと。

 

濃厚接触者と認定されたら、『発症日』(2月2日でいいのかな?)から数えて、7日間待機するそうですね。

 

感染者本人(姪っ子)は軽症のまま食欲も有り、本日(2月4日)は学校自体が休校(コロナの影響?)

 

感染が発覚した時点で、家族にもPCR検査が出来ない理由は、

検査キットの不足だそうです。(つまり、「自費でいいから検査してください」と言っても受付られません)

 

とりあえず以上です。

 

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あらまあ・・・

姪っ子(高校2年生)がコロナに感染してしまいました。

 

以下、当人の母親からの情報です。

本日(2月2日水曜日)、“なんとなく喉の痛みを感じ”医療機関へ

(事前の電話にて、「身の周りにコロナに感染した人はいませんか?」という問いに対し、『学校』の事は頭に無かったため「いません」と回答していた)

医師の問診の中で、学校での感染状況について言及され、

学校ではコロナ感染者が出ていたことが発覚する

PCR検査の結果『陽性』(※現在、感染が拡大しているとされるオミクロン?)

2週間の自宅療養が決定

この情報は保健所へ

(保健所が調査を行い、“濃厚接触者”が決まるらしい)

(同居している家族とて必ずしも濃厚接触者になるわけではないらしいが、現時点では未確定)

 

当人の主観的には、「検査しなければ、何も発覚しないまま回復しているかもしれない(※それぐらいの軽症である)」とのこと

 

私に関しては、濃厚接触者になる可能性は極めて低いですが、情報が更新され次第、速やかにご報告いたします。

 

当人が受診した医療機関では、同様のケースが疑われる患者さんが多数来院されていたそうです。

どこの医療機関でも同じような状況だとすると、

そこから先の情報処理に伴う業務も相当なものだろうと思いました。

 

以上です。参考までに

つきぐっちゃん昼寝

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憤りをチカラに変えてゴチャゴチャ言う

世界中が共通の問題意識を持つ、ある事柄について、

何年もの間、“専門家”たちが研究し、議論しても、

尚、その事柄について、

不明な点と、意見の対立と、予測の誤りと、状況の変化が存在しつづけている場合、

 

果たして、その事柄に対しての現在の向き合い方は正しいと言えるのか(?)

 

“専門家”ではない人間の多くが、

“専門家”の研究成果を頼りにしたとしても、

 

果たして、その研究成果とは“どんな結果”に対しての成果なのか(?)・・・

 

“渦中”の事柄について、

混迷が続けばつづくほど、

そこには当然、苛立ちと不安があるでしょうけど、

 

見方を変えれば、

いままでのようには、“専門家”を頼りにする必要(必然性?)が無い

ということでもあるのではないでしょうか。

(言葉を選びすぎて、解りずらい話になってしまってスミマセン)

 

とにかく、見方を変えれば新しい道が見え、

その方向に進むことによって、

それまでは予想し得なかった良い状況がもたらされるということです。

 

たとえば(あくまでも例え話)、

人が生きていく上で、自分の健康を維持・修復しようとするとき、

“医学”にのみ頼って生きるよりも、

もっと多くの道があるはずです。

そこには多くの希望があると思っています。

 

もっとも、それは“医学”の概念が拡張されるだけの話かもしれませんけどね。

つきぐっちゃん昼寝

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ほんとうの話

ぎっくり腰・寝違え・捻挫・筋肉痛など・・・

筋肉の繊維や周囲の組織の損傷による痛みについて、

それが治っていく『過程』をどのように認識すると良いか、

ザックリと説明してみたいと思います。

 

1、腫れる

炎症がおこっているからです。

炎症は治るための反応です。炎症が起こらなければ治りません(重要)

血が集まって栄養を運んできたり、老廃物を運び去ったりしています。

 

2、痛む

“痛み”の元になる物質が出てきたり、神経が圧迫されたりして痛みます。

でも、痛いからこそ患部を保護することができます。

もしも痛みが無かったら、損傷している場所に平気で負担をかけてしまうでしょう。(それでは、治るものも治りません)

 

3、冷やすと、どうなる?

血流が少なくなり、腫れがひいて、痛みが和らぎますが、

炎症は進まず、痛みは感じにくくなっているだけです。

でも、痛みのせいで夜眠れないと、そもそも治すための体力を回復することができません。なによりも、体をしっかり休めるために、痛みを和らげることは必要だと思います。

痛みが弱まったように感じても、治ったわけではありませんから、患部を保護するように努めなければいけません。

 

4、安静にする?

はっきり言いますが、安静にするのが一番です。

でも、“絶対安静”なんて日常生活の中では無理だし、

何かしらの処置によって痛みが緩和されると、よけいに無理ですよね。

それでもやっぱり、安静にするのが一番です。

 

5、マッサージは有効か?

正しく行えば、治癒を促し、痛みを緩和させることができます。

“正しく行う”とは、手技を施す目的・手技を施す時期・手技を施す部位・手技の圧力、が適切であるということです。

また、患部を動かすことについても同様のことが言えます。

正しく行えば、患部(関節)の動きが悪くなることを防げます。

 

※厳密な意味での“マッサージ”とは違いますが、誰だって痛い所を手で擦ることはありますよね、

これって本能だと思います。(それが悪いことであるはずがないと、個人的には思っています。)

 

6、治る(治癒)とは

けっきょく“治る”ということは『自然治癒』以外にあり得ません。

どんなケガでも病気でも、もともと体に備わっている“仕組み”によって治るのです。

ただし、対処の仕方によって、治りが早かったり遅かったり、

回復後の状態が違ったりすることはあります。

 

どんな手技療法でも治療行為(医療)でも、

『自然治癒力』を促すための行為であるべきだと思います。

そういう視点で見た時に、見えてくるものも有ると思います。

(どう考えても、体を傷めつけているとしか思えないような“治療”も存在しますから、世の中には)

つきぐっちゃん昼寝

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葉っぱと根っこの話

『陰・陽(いん・よう)』という概念についてお話します。

 

これは“東洋医学”にも応用される根本原理の一つですが、“陰陽論”自体は“医学”ではありません。

 

『陰・陽』とは一つの“言い方”であって、

要は、“相反する性質”とでも言いましょうか(言葉が適切ではないかもしれませんが)

 

注意すべきことは、

『陰』と『陽』の分類は、相対的であるということです。

 

『陰』は『陽』に対しての『陰』であり、『陽』もまた、『陰』に対しての『陽』であるということです。

“程度の違い”と言った方が良いかもしれません。

 

つまり“絶対的な”『陰』と『陽』が存在するわけではなく、

“互いに反対側の概念があって、はじめて存在する概念”です。

だから、『陰』も『陽』も単独では存在し得ません。

この関係を『互根(ごこん)』とも言います。

 

現実世界において、これに当てはまる事柄は、挙げれば限がありません(『高い・低い』『濃い・薄い』『速い・遅い』など)

···というか、あらゆる“モノゴト”の裏に必ず『陰・陽』の概念は存在しています。

 

また、相対的であるということは、『陰』と『陽』にハッキリとした境界線は無く、

グラデーションのような、ぼやけたイメージで捉えなくてはいけません(これも非常に重要です)

 

さて、あるモノゴトについて、そこには本来『陰・陽』が同時に内在しているとしても(逆に言えば『陰』も『陽』も無いとしても)

人がその概念を持たなければ、

あるモノゴトは、その人にとって、“一つの性質のモノ”に確定されます。

『確定』は『停止(死)』であり、『陰・陽』という根本原理を失ったモノです。

 

人が意識を向け続けるモノが『実(じつ)』であるなら、その裏には『虚(きょ)』にあたるモノが存在しています。(※この『虚・実』も『陰・陽』の一側面です)

そのことを思い起こすだけで、

『確定』されたモノゴトは『陰・陽』の原理を取り戻し、

生命力(氣)を取り戻すことになります。

 

これは“痛み”や“苦しみ”にも当てはまります。

けっして気休めではありません

 

 

つきぐっちゃん昼寝

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