三日会わざれば刮目して見よ

謎の拳法を求めて

 

松田隆智(まつだ りゅうち)さんをご存知でしょうか。

ここ岡崎市のご出身で、武術家であり、武術研究者であり、

特に中国武術研究に関しては日本における第一人者といえる存在です。

 

10年ぐらい前、武術関係の雑誌の中で、

とても印象深い記事(松田さんの連載)がありました。

そこには次のような趣旨のことが書かれていました。

 

『何かを新たに学ぶと、それまで学んだことが(自分の中から)消えてしまう』

『自分は自分が理想とするモノを作り上げればいい』

(※厳密に記事の内容通りの言葉ではありません)

 

松田隆智さんは、多くの“武術遍歴”で知られています(武術家としても、研究家としても)

私は、この記事を読んだ時に、

松田さんご自身が最終的に求めていたものは、決して他者から学び取ることは出来ない(ヒントは得られたとしても)と確信されたのだと思いました。

そして、非常に共感しました。

 

何かを追い求めるとき、

たとえば、“最強の武術”を求めるとして、

『どこの・誰に・何を学ぶか?』と考えるのは、『どこかに答えがある』という考えが前提になっているからです。

よく言われる『どの流派が最強か』という問いと同じです。(問いの立て方が間違っているので、答えがありません)

仮に、どこかに答えが存在したとしても、あても無く彷徨い続けることになります。

どこかに辿り着いたとしても、それが答えであると証明出来ない以上、確信に至ることはないからです。

 

何かを追い求めるとき、

その『何か』は明確でなくてはいけません。

それこそ自分の中にしか存在しません。

 

“治療業界”においても、いろいろな技術が存在しています(少なくても、そう見えます)が、

だからといって、いろいろな技術を身につけたいとは思いません。

自分の身につけたいものは明確であり、

今あるものを突き詰めていった先に、それがあると確信しているからです。

松田隆智さんは晩年、ご自身の武術の核心である、いわゆる『中段突き』の技を徹底修練する道に至ったそうですが、それと同じことです。

 

いろいろなものを見て学ぶ事自体が悪いわけではありませんが、

『知識+やり方』(武術なら「こう来たら、こうする」という次元)を“コレクション”することと、

『能力(チカラ)』(= 真の技術)を“練磨”することは、全く違う道です。

 

わたしは太極拳が大好きで、施術をするときの動きはすべて太極拳の基本に通じています。(一見しても分からないかもしれませんが)

『身体操作によって導いた力を、相手の体に作用させる』という点では、武術も施術も同じです。

太極拳を修練することが、そのまま施術に生かされています。

それが他者と比べてどうなのか?という問題ではなく、

自分の理想であるということです。

自分の人生ですから

 

myoudaitemple

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