憤りをチカラに変えてゴチャゴチャ言う

世界中が共通の問題意識を持つ、ある事柄について、

何年もの間、“専門家”たちが研究し、議論しても、

尚、その事柄について、

不明な点と、意見の対立と、予測の誤りと、状況の変化が存在しつづけている場合、

 

果たして、その事柄に対しての現在の向き合い方は正しいと言えるのか(?)

 

“専門家”ではない人間の多くが、

“専門家”の研究成果を頼りにしたとしても、

 

果たして、その研究成果とは“どんな結果”に対しての成果なのか(?)・・・

 

“渦中”の事柄について、

混迷が続けばつづくほど、

そこには当然、苛立ちと不安があるでしょうけど、

 

見方を変えれば、

いままでのようには、“専門家”を頼りにする必要(必然性?)が無い

ということでもあるのではないでしょうか。

(言葉を選びすぎて、解りずらい話になってしまってスミマセン)

 

とにかく、見方を変えれば新しい道が見え、

その方向に進むことによって、

それまでは予想し得なかった良い状況がもたらされるということです。

 

たとえば(あくまでも例え話)、

人が生きていく上で、自分の健康を維持・修復しようとするとき、

“医学”にのみ頼って生きるよりも、

もっと多くの道があるはずです。

そこには多くの希望があると思っています。

 

もっとも、それは“医学”の概念が拡張されるだけの話かもしれませんけどね。

つきぐっちゃん昼寝

Twitterはこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です