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ありがとう、さようなら

10月1日、アントニオ猪木さんが亡くなりました。

 

私は、新日本プロレスが好きなので、

新日本プロレスを創った猪木さんに、お礼を述べたいと思います。

ありがとうございました。

 

“強さ” に象徴される人生を歩んできた人だと思いますので、

病気によって弱りゆく姿は、

余計に印象的でありました。

 

 

猪木さんといえば、『元気ですか―!!』とか『元気があれば何でもできる』という、有名なフレーズがありますね。

猪木さんご自身が『元気』という言葉を発するとき、

そこには、きっと深い意味があったと思うんです。

(単なる言葉のイメージだけではなく、なにか実体的なエネルギーを伴うような)

 

常に“熱気”を周囲にふりまいて生きる人というのは、

それによって、他者を元気づけるものなのでしょう。

その熱気ゆえに、他者と衝突することがあったとしても、

他者を奮い立たすことに違いは無いのでしょう。

 

 

実をいうと私は、

アントニオ猪木という“人間”  が好きではありませんでした。

 

しかし、この人がいなければ、この人が新日本プロレスを創らなければ、

現在に至るまで、多くのレスラー、多くの試合を観て楽しむことはできませんでした。

そういう意味で、私もアントニオ猪木から元気をもらっていたと思います。

 

ありがとうございました。

 

↓以下、猪木さんとは関係ないけど、過去に扱った新日本プロレスネタ

 

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まんが6

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言葉を選ぶ話

地球上のどこかで起こっている『戦争』について、

突き詰めて考えてみると、

戦闘によって、直接的に命を落とす人々がいる現状と、

それ以外の人々(直接的に戦闘に関わらない人々 ※戦争している国以外の国)の日常との間に、

全く何の繋がりも無いということは、あり得ないと思います。

 

しかし、現実には、

(私の場合)一日の殆どの時間を、目の前の“日常生活” に心を留めて過ごすことになります。

 

ただし、いつ如何なる時も確信的に言えることは、

どんな理由があっても戦争には反対であるということです。

 

もうすこし細かく言うと、

自国と他国が直接的・間接的に関わる戦争行為そのものを批判し、

一個人としては、戦闘に参加しないということです。

 

ここで強調したいことは、

もし、国民の義務として、戦争への動員がかけられた場合においても、

それを拒否する(即ち、法律に違反する)ということです。

 

たとえ、重い刑罰を科せられることになるとしても、

また、他国からの攻撃によって、それに対する“報復” を正当化する機運が高まったとしても、です。

 

戦争に反対するということは、そういうことです。

これは、いま自分の目の前には無くても、どこかに厳然と存在する現実に対する、最終的な思いです。

 

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チカラの話

“潮の満ちひき” というのは、

月、または太陽の引力によって、海面が上下することだと言われていますが、

そう考えてみると、引力とは非常に強大な力ですね。

もちろん、それは、巨大な天体の引力だからこそですが、

 

夏は海で釣りをする機会が多いので、

潮の動きと、または、その動きを作り出している力(引力)が魚の『生体』と行動に与える影響について、考えさせられることも多くなります。

(どんな自然の摂理でも、その事を、全ての生物(個体)に当てはめて論じることは出来ませんけどね。)

 

 

人間にとっても、その強大な力を(日常的に)意識せずに過ごせるということは、

とても重要な事であり、ありがたい事でもあります。

 

とはいえ、地球の引力も、月や太陽の引力も、それ以外にも、いろいろな力が存在している事は事実なわけですね。

“目には見えなくても存在する働き” ということです。

 

 

ちょっと話が変わりますが、

台風の時のような強風に、体を押されながら歩くことは、簡単に出来ると思います。

では、吹いているか判らないぐらい微弱な風に、体を押されて歩くことは出来るでしょうか?

体に余計な力を入れなければ、出来ます。

正確に言うと、強い風に一方的に押される時とは違い、

弱い風を感じて、それに合わせて、能動的に動くということです。

 

 

かなり難しい事なのですが、

“弱い風” のような力は、体の内側にも感じることができます。

(その力に合わせて体を動かす事は、ある意味で、特殊な身体能力であると言えます。)

 

 

体の内側に感じる弱い力は、

例えるなら、アサガオの蔓が伸びる力のようなものです。

しかしながら、この力は、タケノコが伸びる力と、本質的に同じです。

(けっして止めることは出来ず、場合によっては、家の床を突き破ることもあります。)

 

 

ふだん、天体の引力を意識することがないように、

非常に弱く感じられる力が、じつは強大な力だったりします。

 

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個人の感想だから

“中国”って多民族国家といって良いのでしょうか? (単なる疑問です)

そういう考え方があり、私は、その考え方を支持しています。(個人の考えです)

 

話は変わりますが、

私は、“東洋医学”(中医学)を学び、それを生業とし、

また、『自分は太極拳を体現するために存在している』と言えるほど、太極拳が好きです。

 

大昔に“中国” で生み出された、文化、芸術、学問、思想、哲学、自然観、宇宙観、道徳(いろんな言い方してますが)、

それらは、ほんとうに素晴らしいものだと思っています。(個人の感想です)

 

だからこそ、違和感を感じるのです。

 

日本において、“爆買い” などの言葉で揶揄され、

多くの日本人から好意的に受け入れられない振る舞いを “切り取られ” , 報道されることも多い民族、

 

その“民族性” と、

先に挙げた文化・芸術・学問などを生み出した“民族性” が嚙み合わないというか・・・(個人の感想です)

私にとって、最も端的な言い方をすると、

太極拳を生み出した民族とは思えないのです。(個人の感想です)

 

だから逆に、『いやいや、古い思想や文化を生み出した民族と、いま、あの国の中心に居る民族は、全く別の民族だよ』と言ってもらったほうが、納得できます。(個人の感想です)

 

ちなみに、あの国は、現在も実質的には一人の皇帝が支配する国ですよね。(個人の考えです)

 

日本でも、“土地柄”とか“県民性” などと言っているのは、

実のところ、“全く別の民族” と言っても良いぐらいの事なのかもしれませんね。(個人の考えです)

 

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