そこに愛は

『ブラックバス』 と呼ばれる魚がいます。

いわゆる外来生物ですが、

この魚の生態について、興味深い話をききました。

 

(これはブラックバスに限ったことではないかもしれませんが)

 

産卵期から一定の期間(稚魚がある程度の大きさになるまで)主にオスが、卵および稚魚を外敵から守るのですが、

それ以降は、いままで自分が守っていた稚魚を、平気で捕食しはじめるそうなのです。

 

 

この一連の行動は、すべて  “ホルモン”  の作用(の変化)によって起きていると言われています。

(ホルモンとは、生体が生命活動を維持する上で、さまざまな働きをする『分泌物』のことです)

つまり、ある時期まで子供を守るのはホルモンの作用による行動であり、

表現が適切ではないかもしれませんが、『本能的な欲求に従う行動である』ということです。

 

そして、ホルモンの作用が止まった後、

目の前にいる我が子は、捕食対象の小魚でしかないと・・・

 

ちなみにナマズも、数万個もの卵を産み、その一方で  “共食い”  をすることが知られています。

 

 

このような生態を現実的に考えてみると、

そもそも、沢山の子供を産むということは、

その中の一定数は、同族の食料となること(共食い)が前提であり、

その種族の中で、なるべく効率的に食料を “自給”  するシステムとして機能しているのかもしれません。

 

 

今回このような話をした理由は、

他でもない、人間の営みにおいて、

『先述した生物の生態と、人間のソレとは決定的に異なる』

と、言い切れるのか(?)

という疑問が生じたからです。

 

そのキッカケは、

昨今、大人が子供を、

あるいは、親が子を  “虐待”  するはなしを耳にすることが多かったからです。

(もっとも、そういった情報が、集中的に取り上げられているせいでもありますが)

 

 

人間が、

頭で考えること、心で感じること、自我であると認識していること、

それら全てが、

『脳内で起こっている、何らかの信号の処理にすぎない』

という考えが、仮に現実だとすれば、

 

何らかの原因で機械が故障するかのごとく、

人間とて、

一瞬にして暴走してしまうのかもしれません。

(いや、それが正に現実なのか?)

 

なら、どうする

 

つきぐっちゃん昼寝

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