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あってはならぬ事
・人の体に圧力をかける施術 → 骨折
・鍼(はり) → 内出血
・お灸 → 火傷
それ以外にも有ると思いますが、
そのような『事故』が起こる背景について、一つの考えを述べます。(私個人の考えなので、他者と議論はしませんし、考えを変えることはありません。)
まず、施術者が『事故』を『万に一つの施術のリスク』として考えるなら、それは間違いです。
どんな理由があっても、施術者に『危うい橋をわたる資格』はありません。(患者さんにリスクを負わせる権利もありません)
『リスクがあるなら行うべきではない』ということです。
自分の『技術』・『知識』・『社会的(法的)立場』などが考慮された上で尚、考え得るリスクがあり、その『前提』で施術をするとしたら、
それは施術者の『おごり』だと思っています。
施術者が『技術』・『知識』を向上させていくことは当然のことですが、
ただし一方で、いかに高い『技術』・『知識』を持とうとも、医師ではない者の『領分』というものがあるはずです。
施術家として『万能』であろうとすることを否定はしませんが、主張してよいことだとは思いません。
『できること』・『できないこと』を明確にすることこそ責任ある態度だと思います。
医師が『病気』と判断しないことに対応するのが施術家の『領分』であり、
『できること』だけでも十分に人の役にたてるのです。
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報告
昨年12月ごろに上の四コマ漫画で描いた子は、
3か月を経て、昨日ウチの物置小屋で捕獲しました。
動物病院で不妊手術をしていただき、捕獲した場所で開放しました。
よく考えて、最も現実的な処置をしたつもりです。
今後、もし距離を縮められれば、ウチに迎え入れることもあるかもしれません。
下の書類を、動物総合センター(Animo)に提出して、捕獲カゴを返却します。
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年老いた達人の力
『年をとっても衰えない力』とは何か、
その問いに対しての一つの答えである『勁(けい)』という力について説明します。
『勁』とは、電気が流れるときに生まれる磁力のような力だと思ってください。
つまり、体に『気』が流れると『勁』が発せられるということです。
『気を感じる』という表現も、厳密に言えば『気』そのものを感じるのではなく、『勁』を感じているということです。
この『勁』の用い方によって『勁力』という『力』として使うことが出来るようになります。
表現や解釈に違いはあれど、『勁力』は多くの武術に用いられているはずです。
太極拳の『推手(すいしゅ)』という組手を、高齢者でも若者と対等に行うことができるのは、『勁力』で体を動かしているからです。
また『勁力を相手の肉体に作用させる』ということは、
たとえば、指圧などの『手技療法』においても同じことで、
その『圧』というものは、勁力による圧であることが望ましいと思っています。
小手先の力ではなく、単に体重をのせることとも違います(※『重力を伝える』ことと『体重をのせる』ことは異なります)
『勁力』を用いれば、けっして強い力ではなくても奥深い刺激が伝わります。
それは相手の体を傷めることなく、また、施術者自身の体を守ることにもつながります。
そして最初の問いに対して言うならば、『勁』は『気』の鍛錬をすることで養われるのですから、
少なくても筋肉の衰えには影響されないといえます。
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マイあるある
平常心の話
長い人生の中では何度も経験すると思いますが、
『何年も努力をつづけた成果が一日で試される』という状況に立ったとします、
すごく緊張すると思います。
いわゆる『平常心』なんて無理だと思います。
それならば、緊張した状態を『常』とすれば良いと思います。
以前、あるスポーツ選手がインタビューのとき、『最高の状態を出せれば、結果は出ると信じています』と言っていましたが、
この人は『本当に強い選手』には勝てないと思いました。
本当に強い選手は、『最高の状態』など当てにしません、常に最低の状態で出した結果を受け入れています。
それこそが自分の実力であることを知っています。
『どう転んでも、それより下に落ちようがない場所』に居なければ『平常心』などありえません。
高い所にある目標をジャンプして掴もうとするのではなく、
自分が立っている場所を高くするのです(転んでも目標をつかめてしまうぐらいに)
ある元プロボクサー(輪島功一さんだったかな?)は自分の育てた選手に対して、
『ガチガチで行け』と言っていました。
最後の最後は、『最低の自分を受け入れた証として』神社にお参りでもすると良いと思います。






