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チェインギャング

もう、随分と日がたちますが、非常に考えさせられた出来事があります。

 

ある芸人さんが亡くなったのですが、

その死因が“自死”であったということで、ショッキングな話題として取り上げられていました。

 

近しい関係者の、大方の感想として、

“人知れぬ苦悩”があったのではないか(?)ということが、共通してあるように思われます。

(もちろん、すべては憶測なのですが)

 

具体的に、どのような悩みが有ったにせよ、

本人の仕事が “人を笑わせること” である以上、

一般人が目にする姿は、すべて“笑い”というものに結び付けられています。

とは言っても、いまどきは、どんな有名人だって(むしろ、有名だからこそ)表には出ない悩みぐらい有ることは、容易に想像できます。

(もちろん、すべて憶測です)

 

人が、自ら命を絶つほどの悩み(苦しみ)とは、どんなものか、

それは、当人が『どれほど弱っているか』という視点で考えるべきことだと思っています。

簡単に言えば、

元気なら乗り越えられる事でも、元気が無ければ乗り越えられません。

 

そして、人間である以上、“理由なく”元気が無いときもあります、

疲れている時です、あたりまえです、

これは、あたりまえの事なんです。

“病気”でもなんでも無く、人としての正常な姿だということです。

 

当人の普段の様子から、

苦悩など微塵も感じられなかったとして、

その点について、“芸人魂” とか “プロ意識” と捉える人もいるでしょうけど、

 

 

ちょっと、ある歌の歌詞をご紹介します。

 

仮面をつけて生きるのは

息苦しくてしょうがない

どこでもいつも誰とでも

笑顔でなんかいられない

 

 

いつも人に対して、笑顔で機嫌よく接することは、間違いなく“美徳”であると思います。

“治療家”という者にとっては、なおさら身につけるべき資質でしょう。

ただし、

それが出来ないとき、

そのことを苦にしてしまうとしたら、

それは地獄だと思います。

 

明大寺マッサージ院 挿絵

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とても大切な話

毎日、国内外で騒がれる様々な問題、

まあ、わかりますけど、

日常生活で気が滅入ってしまわないように、

趣味は大切だと思います。

 

すこし先に楽しみな事があると、自然に前向きな気持ちになりますしね。

(数か月先の映画の予告みたいなものです)

 

 

小学生のころ東京に住んでいたんですが、

夏になると、祖父と一緒に、江戸川にハゼを釣りにいっていました。

 

ゴカイなどの生きたエサを使って釣るのが一般的ですが、

近年はルアーを使って釣る人もいるらしい、ということで、

8月になったら “ハゼクラ”(※クランクベイトという種類のルアーを使います)をやってみようと思います。

 

 

対象の魚が10~15cmのハゼですから、ルアーもそれなりに小さいです。

ルアーで釣るといっても、

ルアーをエサとして認識するというよりは、縄張りに入ってきた外敵として攻撃してくるという感じだそうです。(アユ釣りみたいな感じでしょうか)

 

さて、未来の予定が決まったのですから、

あと3か月ほどの間は、大地震が起きようが、他国からミサイルが飛んでこようが、生きていられるでしょう。

冗談です

 

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決してまとまらぬ話

15年ほど前、長崎県佐世保で観光船に乗ったことがあります。

 

その日は、雨風が非常に強かったです(個人の主観です)。

 

乗船場所で列に並んでいると、

ある団体客の中の一人が、声をあげました

『今日、こんな天気で、大丈夫なんですか?』

 

その声を受けてかどうか、わかりませんが、

係員によって、乗船に一旦待ったがかかりました。

 

観光客は、ざわつき始めました。(天候への不安に対する“同意”を含む、様々な感情があったと思います)

 

近くにいた子供が、父親らしき人に聞きました、『船のれないの?』

 

まもなく、観光船が出航するというアナウンスがありました。

 

最初に不安を口にした人は、納得してはいない様子でした。

 

子連れの男性が、誰に向かって言うでもなく、大きな声で言いました、

『プロがイケるって判断したんでしょ?』(苛立ちが感じられました)

 

 

さて、このとき、船に乗るのが不安な人は、

乗らずに待つ選択もできたでしょうが、仲間と共に船に乗りました。

(不安の度合いとしては、その程度だったのでしょう。)

 

子連れの男性が言ったように、

多くの人は、様々な場面で“プロ”の判断をあてにします。

(“プロ”の判断に間違いは無い、という思いと、根底には責任転嫁があります。)

 

誰しも、予定していたことが滞りなく順調に遂行されることを望んでいると思います。

レジャーを楽しみたい人も、それを“仕事として”サポートする人もです。

(人が予定することとは、基本的に“良いことを期待する”だけだと思っています。はじめから悪い事を期待する人はいないと思います。)

 

人それぞれの事情、 本音と建前、 理想と現実、 集団と個人、 自然の猛威、 社会、 経済、 (なんか得体の知れないモノゴト全部)

複雑に絡み合った世の中で、都度、自分の目の前に置かれる選択肢、

それを選んだ結果、何があろうとも、

そういう運命だったと言うしかないのかもしれません。

 

(だってさー、 ここんとこ毎日、一歩間違えれば車に跳ねられそうになってるし)

つきぐっちゃん昼寝

 

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いますぐ止められるはずの事

“戦争”についての報道の中で、

特に、兵士による民間人への“暴力行為”が存在することが問題にされていますね。

 

その事実の有無について、

双方(両陣営)の言い分は異なっているようです。

 

私は、“戦争”において公にされる情報の、

その信ぴょう性を決定的に精査することが出来ませんので、

仮に事実であるなら、という話をします。

 

それは当然、許されることではありません。

しかし残念ながら、“戦争”とはそういうものなのでしょう。

 

だからこそ、“戦争”をしてはいけないのだと思います。

 

81年の映画『マッドマックス2』の、

冒頭のナレーションの一部を思い出します。

『指導者たちは話し合ったが、崩壊を防げなかった・・・一般人は打ちのめされるだけだった・・・』

 

明大寺マッサージ院 挿絵

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他意は無い

いま世の中で、

“兵器”や“薬”を製造する企業が“儲かっている” であろうことは、だれでも容易に想像できます。

(言い方は悪いですが)

話は変わりますが、

物やサービスは、需要が無ければ売れません。

そして、言われてみれば当然かもしれませんが、

ある物やサービスを売り込むための強力な手段の一つとして、

“需要を生み出す” ということがあります。

 

長い間、社会が抱えている様々な問題に対して、

それらの問題に対処する(問題の根絶とは違う)仕事に従事する人はたくさんいます。

 

もしも、

それらの問題を根絶する新たな発想が、世の中に生まれた時、

いままで、問題に対処してきた人たちは、“仕事を失う” という非常に単純な理屈があります。

 

その時に、仕事を守ろうとする人はいるでしょうか?

つまり、需要を生み出そうとする人がいるのか? ということです。

ここで言う“需要”とは、“問題”のことです。

 

施術者である私の仕事もまた、

人々の抱える問題に対処することです。

自分の仕事が好きですが、

人々の抱える問題が、今すぐにでも世の中から無くなることを願っています。

 

zen

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